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ミライノマナビコラム  ― 大局観で教育を考える

2019.6.14

第5回 国際バカロレア教育が掲げるリーダーの心構え

後藤 健夫

後藤 健夫

教育ジャーナリスト。
大学コンサルタントとして、有名大学などのAO入試の開発、 入試分析・設計、情報センター設立等に関与。早稲田大学法科大学院設立に参画。元・東京工科大学広報課長・入試課長。『セオリー・オブ・ナレッジ―世界が認めた「知の理論」』(ピアソンジャパン)を企画・構成・編集。

 

国際バカロレアの理念では「多様な文化の理解と尊重の精神を通じて、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する、探究心、知識、思いやりに富んだ若者の育成」を掲げている。この中から、前々回では「世界平和の構築」と国際バカロレア教育に、そして前回は「探究心」について触れた。

今回は「思いやり」について考えてみたい。

 

異なる文化との軋轢

日本は、以前にも述べたように「社会課題先進国」である。その中でも特に大きな課題であり、より深刻なものは少子高齢化である。少子化と高齢化が合わせてやってくることだ。こうした問題は、地方においてはさらに深刻である。「地方消滅」の危機はここからやってくるのだ。

少子化で若者や子どもがいなくなれば町や村、集落を維持することが難しくなる。多くの高齢者のために少ない若者が「働き手」として走り回る。そんなことに嫌気がさして町や村を離れていけば「消滅」に拍車がかかる。だからといって、若に地方に残ってもらえる様な魅力を作り出すのも容易ではない

「働き手」不足は地方だけではなく都会でも起きている。いま深夜営業をする都会のコンビニエンスストアやファストフードチェーンを支えているのは外国人労働者である。また「働き手」不足を補うために、政府は外国人労働者を従来の高度人材に限らず、より広く受け入れるようになった。

外国人労働者とは文化も習慣も異なり、慣習の違いから軋轢を生むこともあるだろうが、彼らを受け入れなければ「働き手」不足の中で若者の負担は大きくなるばかりである。「働き手」がなければ経済も沈滞するし、特に地方では経済どころか人口そのものが減り社会が成り立たなくなる可能性も出てくる。外国人労働者を、社会がどのように受け入れていくかが問われてくる。

 

「思いやり」はグローバル時代のノブレス・オブリージュ

このときにキーワードとなるのが「思いやり」である。

国際バカロレアのミッションの中には「人がもつ違いを違いとして理解し、自分と異なる考えの人々にもそれぞれの正しさがあり得ると認めることのできる人として、積極的に、そして共感する心をもって生涯にわたって学び続けるよう働きかけています」とある。

文化の違いを違いとして認めて理解することは、高度な教育を受けた者にとって基礎的な教養なのだ

こうして外国人労働者を「思いやり」をもって迎えたいものである。

また、いまの新自由主義をベースとした経済政策が変わらなければ、仮にセーフティネットが現状より拡充されたとしても、世帯間における経済格差は否応なく広がるだろう。そうしたときに、恵まれている人たちが恵まれない人たちを包摂することで、市民社会を成立させることになる。そのとき、他人との違いを違いとして受け入れて行動に移すような「思いやり」が求められる。

日本で国際バカロレア教育を受ける生徒は恵まれた家庭環境にあるケースが少なくない。そうした生徒にこそ「ノブレス・オブリージュ」(身分の高い者にはそれに応じた社会的責任と義務がある)が求められる。

日本の社会が、未曾有の少子高齢化を迎えることで、大きく変わろうとしている。そのいまだからこそ、「思いやり」の持つ重要性は増している。これからは外国人労働者や経済的に恵まれない人たちを包摂することなしには、日本の社会を、経済的にも文化的にも成り立たせていくのは難しいだろう

国際バカロレア教育で学んだ次世代のリーダーたちが、「思いやり」に富んだ社会を構築してくれるものと期待している。

 

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