社会の変革は新技術の登場だけで起きるものではない。それらを人々が求める形に変え、普及させるイノベーションが不可欠だ。ところが、日本の中高ではそのイノベーションがほとんど教えられていない。2016年、イノベーション教育を取り入れた常翔啓光学園中学校・高等学校の岩村聡教頭に、どのような授業なのかお聞きした。
「きっかけは、系列の大阪工業大学で開講された『デザイン思考』の講座でした。未来の自動車をデザインするというテーマでしたが、参加者がプロトタイプを作ってプレゼンするという内容がとても面白く、講師のトヨタ自動車の方に本校での開講をお願いしました。」
岩村先生がイノベーション教育導入の経緯をそう説明する。トヨタ側も乗り気になり「2040年のパーソナルモビリティを考える」をテーマに、同社のWingletを持参してイノベーション教育がスタートした。
「最初は『観察』です。生徒は4、5人の班に分かれ、Wingletに試乗した感想をポストイットにどんどん書き出します。それを『嬉しい』『楽しい』『怖い』などカテゴリーに分類して貼っていき、考えを整理します。また、消費者のモデル(ペルソナ)を想定し、その人に買ってもらうにはどのような製品を作ればいいのか、アイデアを出し合います。」
最初に製品化されたパーソナルモビリティのセグウェイは、販売が伸びずにメーカーは二度買収されている。センサーで高い自立安定性を実現するなど技術的には先進的だったが、自転車に勝る要素が少なく、消費者に受け入れられなかった。
「高度な技術があっても普及しない発明品がある一方で、原動機付自転車やスマートフォンのように、生活を一変させた発明品もあります。アイデアや発想の差が大きいのです。本校では、中学時代からそのような発想力を大事に伸ばします。」
ペルソナを考慮しながら、それぞれの班はコンセプトを決めて、アイデアを絞り込む。カテゴリーを2つに絞って縦軸・横軸に取り、ポストイットを貼り直す。そうして思考がまとまると、次は「モックアップ」作り。粘土や段ボール、ブロックなどで見本を作る。このモックアップを見せながら、ストーリー仕立てで発表を行う。「このペルソナの人が、これを使って、こんなライフスタイルを実現します」という具合だ。
「生徒はみんな楽しそうに学んでいます。イノベーションを生み出すには『どんな意見も否定しない』心構えが重要です。授業では、どんな意見も否定せず『さらに良くするには?』を考えるルールを決めています。何を言っても否定されないので、思う存分意見が飛び交います。」
イノベーション教育は、日本ではまだまだ珍しい取り組みだ。だが、世界は先に進んでいて、特にシンガポールで盛んだという。
「世界の学生たちとアイデアの出し合いをすると、日本人はたとえ英語力が十分にあっても、話に入ることができず、置いてけぼりにされるそうです。能力が低いわけではなく、そのような授業に慣れていないのです。」
何もないところから新しいアイデアは生まれない。歴史や先行事例を調べ、実際の事例を観察して、テーマの方向性を絞って、ようやく良いアイデアへと到達するのだ。
「クラスメートとよくコミュニケーションを取ってから物事を進めるようになりました。自分の意見がしっかり言えるようになったことに加えて、人の意見を否定せずに聞く力も身についたように感じます。」
生徒の様子の変化をたずねると、岩村先生はこう答えてくれた。人前で話すことや、人前に出ていくことにも積極的になったという。
年1回の取り組みだった同校のイノベーション教育だが、徳島大学からのオファーを受けて、今年から年2回の取り組みへと拡大する。生徒の発想力も授業の進め方も年々磨かれて完成度が高まっている。イノベーション教育を体験した生徒たちが、未来の社会にどのような変革をもたらしてくれるのか、楽しみなところだ。