2021年度より中学校で、22年度に高校で、新しい学習指導要領が全面実施されました。これまで重視してきた「知識・技能」に加えて「思考力・判断力・表現力等」と「学びに向かう力・人間性」の育成が目指されます。そのために「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)に力を入れることになります。このコーナーでは、なぜこのような教育の改革が必要なのかを、シリーズでお伝えします。今回は歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリが著書『ホモ・デウス』の中で予測した「役立たず階級」と教育のあり方について考えます。
「役立たず階級」
歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは著書『ホモ・デウス』(柴田裕之訳 河出書房新社)で、AIが高度に発達した社会では、人は、AIを管理する少数のエリートと、それ以外の多数の「役立たず階級」に二極化すると予測しました。
AIが高度になればなるほど、多くの職業でAIは生産性で人を超えていきます。「役立たず階級」は失業しているのではなく、そもそも雇用不能だとハラリは言います。企業としては「お金を払ってもいいから仕事しないでほしい」という状況だそうです。
人の自由さの価値が高まる
そこで「ならば、役立たずにならないよう、高度な知識をたくさん学ばなければ」という反応をする方もいるかもしれません。しかしこれは、子どもたちに勝ち目のない勝負を強いる考え方です。知識の入手が容易になっていく時代に知識で勝負しようというのは、自動車や航空機が普及しつつある時代にもっと速く走れる飛脚になりなさい、と言っているようなものです。
とはいえ、教育が無意味というわけではありません。知識がいくらでも手に入るとしても「私はこの知識に驚いた、感動した」という気持ちは、人間にしか作り出せません。その感動を他の人に伝えて、共有したいという思いも人間特有のものです。前回のこのコーナーでは「人は自由に生きるために学ぶ」と述べましたが、その自由さは今後価値を高めていきます。
「テストワイズネス」
この教育観のアップデートを前に、置いていかれる心配があるのは、教師の指示通りに真面目にコツコツ勉強して、表面上の成績は悪くないタイプの子どもたちです。
「テストワイズネス」という学習科学の用語をご存知でしょうか。本当のワイズネス(賢さ)ではなく、テストという限られた場面でだけ通用する賢さのことです。教師の指示通りにコツコツ勉強するというのはテストワイズネスを高めるもっとも効率的な方法ですが、それでは社会で役立つような本当の賢さに到達するのは難しいでしょう。
もちろん、入試ではテストワイズネスも必要になります。しかし、これからの時代、テストワイズネスばかり身につけていては、どんなに「良い大学」を卒業したとしても、役立たず階級になってしまう恐れがあるのです。
役立たず階級を育てない教育を
このコーナーでも何度か言及してきたことですが、これからの教育の役割として重要なポイントは「面白いと感じるものを見つける」ことです。AIは、人がどのようなものを面白いと感じるのかを統計的に分析することはできても「面白い」と感じることはできません。
そして「面白い」と感じた経験が基になって、さらに「面白い」ものを作り出せるのも人間だけなのです。
優れた教師はこれまでも生徒に教科の面白さを感じさせる授業を展開してきました。これからは、教育全体でそのような学びを進める必要があります。それができずに、勉強とは「嫌なことに取り組み、苦労して克服するもの」や「好き嫌いなど関係なく、精神と脳を鍛えるもの」などのように捉えていては、役立たず階級を増産するばかりです。
努力すること自体は大切なことです。ただ、努力の方向性を間違えると役立たず階級を育てていることになってしまいます。これからの時代の「努力」は、古い価値観で見ると努力に見えないかもしれません。一見、遊んでいるように見えて、子どもたちは新しい時代に必要な力を学んでいる場合があります。目先のテストワイズネスばかりに執着しないことは、長い目で見た子どもの成長にとって重要なことだと思います。