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2020.5.29

「誰が子供の世話を見るのか」問題の本質——長期休校で考えたアフターコロナの教育

 

新型コロナウイルスへの対策として、3月2日から要請された臨時休校措置。関西圏の学校の多くは、要請に従って休校を実施。子供にとっても保護者にとっても約3ヶ月間の長い休みとなった。この異例の事態の間に、小学生の子供を持つ弊誌記者が考えたことを記事にしてみた。

「誰が子供の世話を見るのか」問題

子供を持つ保護者として、臨時休校に対して、最初に感じた疑問は「誰が子供の世話を見るのか?」ということだった。

我が家は、夫婦共働き。学校が休みとなれば、仕事を休まない限り、子供が家に独りとなってしまう。

最初は、春休みが終わるまでと、夫婦でスケジュールを調整しながら(妻の尽力が大きかったと思う)、だましだまし乗り切っていた。我が子も春休みが早めにやってきたと喜んでいた。そんな私たちを絶望させたのは、臨時休校の延長だった。

これ以上、スケジュール調整だけで乗り切るのは不可能だ。そこで、在宅勤務を活用しつつ、子供の学習に併走できる働き方を模索した。もちろん在宅になった分の浮いた時間では到底足りない。細切れの勤務時間に集中力を持続させるのに苦労した。

追い打ちをかけたのは、学校から配布された家庭学習のプリントだった。教員用指導書と問題集を合わせたようなその配布物は、保護者に授業の進行を丸投げしていた。自分の仕事にも集中しながら、子供の授業を進めるという高度なマルチタスクに、多くの保護者は疲弊したはずだ。

 

「学び」の問題が「世話」の問題になってしまった

ここで「これは本来教師の仕事だ」と憤るのは簡単だ。私も「なぜオンラインで授業をしないのか?」ともどかしく感じた。しかし、問題の本質はそこではない。

そもそも私たちは子供の世話を見てもらうために学校に通わせているのではない。「世話を見る」のは保護者の役目だ。学習に取り組む以外の時間、子供を育てるのは他ならぬ私たち保護者なのだ。

では、問題の本質は何か? それは「子供を丸1日独りで家にいさせると勉強なんかせず、ゲームばかりしたり、ネット動画ばかり見たりする。だから、保護者が子供の勉強を見ないといけない」ということだ。

このことを逆に考えると、勉強がゲームに負けないぐらい面白いものであれば、子供は放って置いても勝手に取り組む。子供が自律的に勉強すれば、保護者は心置きなく仕事に集中できる。

つまり、問題の本質はオンラインかオフラインかではなく、勉強の面白さにある。

 

教育はもっと面白くなれる

ゲームやネットの動画など、他に興味を持つものがたくさんある自宅という環境で、授業の素人の私が退屈なプリントを教えたところで、子供が進んで勉強をするわけがない。結果として、子供を叱りつけて机に座らせるようなことになってしまう。これでは勉強嫌いになっても好きになることはない。3ヶ月間ずっと遊んでいた方がマシかもしれない。

新しい学習指導要領では「学びに向かう力」が「思考力・判断力・表現力」と並んで重視される。

全ての子供たちが自発的に学びに向かうようにするために、本人の心構えや勤勉さだけに頼るのはあまりにも非力だ。学びたくなる教材やテーマが欠かせない。その導入は遊びでも良いと思う。

学ぶことは本来楽しい。しかるべきテーマさえ与えられれば子供たちは、話し合ったり、調べたり、まとめたりして勝手に学びを深める。面白そう、やってみたいと思うことが原動力なのだ。

子供がゲームばかりしたり、ネットの動画を見てばかりになるのであれば、いっそそれらを教材にすれば良い。簡単に実施できる感想文から、ゲームを使っての建築物の建築やプログラミングの学習だってできる。お気に入りのステイホーム方法のプレゼン動画を作っても良い。ウイルスと戦う人たちを励ますリレー動画をクラスみんなで作るなんて素敵な学びではないだろうか。

幸い、緊急事態宣言は解除された。6月から授業が再開される見込みだ。だが、第二波の予測もある。また、今後の社会の変化に応じて学校のあり方を再度点検する必要もある。新しいメディアを取り入れた学びについて検討を進めるべきだろう。このことは新しい生活様式と同じか、それ以上に重要な課題だと思われる。

 

ミライノマナビ編集部

ミライノマナビ編集部

グローバル化&AI化が子供たちにとって明るい未来となってほしい。来るべき未来に対して教育は何ができるのか、子育て世代やこれから社会に出る若者たちみんなが考えるきっかけを提供していきます。

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