MIRAI NO MANABI ミライノマナビ

ホーム  ≫ ミライノマナビTOPICS  ≫ [なぜ学びが変わるのか?]第2回 時代とともに「学力」も変わる

ミライノマナビTOPICS

2021.2.19

[なぜ学びが変わるのか?]第2回 時代とともに「学力」も変わる

 

2021年度より中学校で、22年度に高校で、新しい学習指導要領が全面実施されます。これまで重視してきた「知識・技能」に加えて「思考力・判断力・表現力等」と「学びに向かう力・人間性」の育成が目指されます。そのために「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)に力を入れることになります。このコーナーでは、なぜこのような教育の改革が必要なのかを、シリーズでお伝えします。第2回は「学力」や「勉強」が時代とともにどう変わってきたのかを歴史を踏まえて考えます。

 

「探究学習なんていいから勉強を教えてください」

 この見出しの言葉は、ある学校で保護者が実際に訴えたことだそうです。新しい学習指導要領が周知された今では、探究学習の必要性も共有されてきましたが、いまだに大学入試を突破するためのトレーニングこそが「本当の勉強」だと考えている人は少なくないと思います。

 確かに大学入試は出題範囲も広く、十分なトレーニングを積んでいなければ太刀打ちできません。しかし、学習科学の知見によると、入試を突破するための記憶や理解は低いレベルの学びで、興味を持って調べたり、話し合って考えをまとめたり、それをわかりやすく発表したりすることの方が、ずっと高度な学びなのです。

 

保護者世代にとっての「勉強」

 にもかかわらず、私たち保護者世代が記憶や理解ばかりを「本当の勉強」と考えてしまうのには、大きく二つの原因があると思います。

 一つは、「勉強」のイメージです。勉強とは刻苦勉励すること、つまり一人黙々と机に向かって、苦しんで努力するもの、というイメージが強く残っています。苦労して勉強することが難関大学や有名企業への道につながった実体験と重なると、より強固なものになるでしょう。

 もう一つは、「勉強」には教科書のような完成された枠組みがあり、教科書を隅から隅まで習得することがゴールである、という思い込みです。教科書を超えた学びや、既存の教科に該当しない学びは必要ないと考えてしまうのです。

 私たち保護者世代が学校で受けてきた「勉強」はこの二つのようなものでした。いくら新しい学習指導要領の趣旨を頭で理解していても、どうしても自分たちが受けてきた教育を基準に考えてしまうのは仕方がないことかもしれません。

 そこで、いったん時間のスケールを広げて、保護者世代が持つ「勉強」の常識は、ずっと常識だったわけではないことを見ていきましょう。

 

古代中国の「教育」

 「孟母三遷の教え」という有名な逸話があります。古代中国の儒学者・孟子の母親(=孟母)は、孟子の教育環境のために、住む場所を何度も変えました。

——孟子の母は最初、墓地の近くに住んでいた。子どもの孟子は葬式ごっこをして遊ぶようになった。それを見た孟子の母は「ここは我が子を住まわせる場所ではない」と言って市場の近くに引っ越した。次に、孟子は商人の真似事をして遊ぶようになった。母親はここも我が子を住まわせる場所ではないと、学校のそばへ引っ越した。孟子は儒教の祭礼や礼儀作法の真似をして遊ぶようになった。母親は「ここが我が子の住むべき場所だ」とずっとそこに住んだ。

 子どもの教育環境を考えて引っ越しをすることは今でもあると思います。注目してもらいたいのは、商人の真似が教育にふさわしくなく、祭礼の真似が好ましいという、当時の教育観です。古代中国の戦国時代、学問と言えば儒教のことでした。商売をしてお金を儲けることは、どちらかというと賤しい行為と考えられていたのです。時代が移って現代。我が子がビジネスを学ぶことに反対する保護者はどれぐらいいるでしょうか。

 

今まさに変わりつつある常識

 孟子の時代と現代とでは常識が変わって当然と思うかもしれません。では、もっと最近の例を二つ挙げます。一つは「小説」です。皆さんも国語の時間に小説を学んだと思います。私たちの常識では、小説は勉強の対象です。

 しかしながら、近代になる前、小説は「立派な大人の読むものではない」とされていました。天下国家を論じる「大」説に対して、単なる娯楽に過ぎない「小」説だったのです。教養として、あるいは、国語力を高めるための教材として、近代の国語教育に取り入れられて、それが私たちの常識になったのです。

 もう一つは、ブロック遊びとテレビゲームです。これは今まさに新しい学びの常識になりつつあるものです。小説が国語に取り入れられていったように、ブロックやテレビゲームは、プログラミング思考やプロジェクト学習のための教材として取り入れられつつあります。

 このように、何が勉強なのかは、時代とともに変化します。これからの変化の激しい時代、知識の記憶と理解だけでは十分に学んだことにはならないでしょう。それは、孟母が儒教の祭礼だけを学問とみなしたようなものです。変化の緩やかな孟子の時代はそれで十分だったかもしれませんが、今の子どもたちは、大学入試すら変化する時代を生きています。さらにその先、社会で求められる力は、もっと大きく変化するかもしれません。現代の孟母は、古い常識から引っ越す必要があるのです。

 

ミライノマナビ編集部

ミライノマナビ編集部

グローバル化&AI化が子供たちにとって明るい未来となってほしい。来るべき未来に対して教育は何ができるのか、子育て世代やこれから社会に出る若者たちみんなが考えるきっかけを提供していきます。

Category カテゴリ―