2021年度より中学校で、22年度に高校で、新しい学習指導要領が全面実施されました。これまで重視してきた「知識・技能」に加えて「思考力・判断力・表現力等」と「学びに向かう力・人間性」の育成が目指されます。そのために「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)に力を入れることになります。このコーナーでは、なぜこのような教育の改革が必要なのかを、シリーズでお伝えします。今回は子どもたちが社会に出る頃の労働の在り方について考えてみます。
コンピューターの登場による雇用の変化
経済学者の井上智洋博士は著書『人工知能と経済の未来』(文藝春秋)の中で、コンピューターの登場で破壊された雇用の多くはホワイトカラー(事務職)で、その分の労働者は、頭脳労働(クリエイティブやマネージメント)か肉体労働(介護、看護、建設)に移らざるを得ないと説明しています。ただし、頭脳労働者は少数で足りるため、このままでは多くの労働者は肉体労働(接客などのサービス業含む)へ流入することになります。
この急激な社会の変化を目の当たりにすると「だったら、たくさん勉強して、頭脳労働者になる競争に勝つしかない」と思ってしまうかもしれません。しかし、それはコンピューターが単なる高速な計算機だった時代の発想です。AIが高度に進化するこれからの時代、たとえ現在では高いレベルの頭脳労働であっても、AIがサポートすることによって、誰にでもできる低スキルの仕事になってしまう可能性もあります。そして、AIの進化は一層進むことはあっても、後戻りすることはありません。
では、子どもたちの将来には、サービス業を含めた肉体労働しか残されていないのでしょうか?
新潟の雪と東京の雪
頭脳労働か肉体労働か、という枠組みだけで未来を考えると子どもたちの先行きは暗く見えます。しかし、技術の進歩は人間から仕事を奪う一方で「より人間らしい仕事」を際立たせたり、その価値を高めたりする面もあります。
例えば、北海道や新潟では例年雪が降り積もっています。ところが、そのことがニュースになって騒がれることはあまりありません。それに対して、東京で雪が積もるとなるとちょっとしたニュースになります。クジラは世界中にたくさん生息しています。それにも関わらず、ニュースになるのは、淀川に迷い込んだそのうちの一頭です。
AIにとっては、同じ雪・同じクジラです。積雪量だけを比べれば普段の新潟の雪が大ニュースになってもおかしくないぐらいです。近海に現れるクジラもホエールウォッチングなどで頻繁に観察されていますが、なぜそれはニュースにならないのか、AIに理解させることは難しいでしょう。なぜなら、このようなニュースの価値を測るためには、私たち人間と同じ社会生活を経験する必要があるからです。
哲学者のウィトゲンシュタインは『哲学探求』の中で、もしもライオンが話すことができたとしても、私たちはそれを理解できないだろうと考察しています。同じ言葉を使うことができても、生活経験が異なると、価値の共有ができないという鋭い考察です。
東京の雪や淀川のクジラを興味深く感じるのと同じようなタスクは、実は日常的にありふれていて、現在では仕事として認識されていないものも含め、多くの人がこなしています。いわゆる価値判断、あるいは評価と呼ばれるものです。
私たちは、レストランAとレストランBのどちらが美味しいか(お得か、接待に向いているか、デートに向いているか)、Cという映画とDという映画のどちらが優れているか(娯楽性、芸術性、一緒に見る相手の好み)、などについて日々、難なく価値判断を下しています。
事務職や頭脳労働の一部さえもAIが担う時代、人間にしかできない、より人間らしい仕事として、この価値判断の仕事、つまり誰かに何かをおすすめしたり、面白いものを紹介するような仕事が増えていくと予測されます。
価値判断力を身につける
価値判断、あるいは評価は、ブルームの教育目標分類では、上から2番目の高度な学力とされているもので、クリエイト(創造)の次に重要な学力です。(下図)
このような学力は、従来型の授業では身につきにくいものです。また、この学力を伸ばすために、興味を持った分野を突き詰めることも重要になってきます。より的確な評価を下すためには、その分野に十分に没頭した経験が必要になるからです。探究的な学習、より直接的にはビブリオバトルのような取り組みが大いに役立つでしょう。このコーナーで度々言及している、好きなこと、楽しいことを学びにすることが、今後さらに重要性を増していくのです。