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2018.7.20

AI・BI時代の寓話「アリとキリギリス」

 

むかし、あるところに……

むかし、あるところに、働き者のアリたちと、歌って遊んでばかりいるキリギリスがいました。

アリたちは夏の暑い最中もせっせと働き、寒い冬に備えました。

一方のキリギリスは歌って遊んでばかりで、冬への備えをしていません。

やがて寒い冬がやって来て、エサを求めて訪ねて来たキリギリスをアリたちは冷たく追い返しました。※1

 

※1エサを分けてくれる優しいアリという結末もある。

 

有名なイソップの寓話である。無粋を承知で科学的な批判をしてみる。

アリは勤勉だからエサを蓄えるのではなく、営巣し、社会的に活動するようプログラムされた昆虫だからだ。一方のキリギリスが歌うのはパートナーを見つけて子孫を残すためであり、その行為を「遊んでいる」と非難するのは人間的なものの見方の押し付けに過ぎない。

さらに、今後その人間的なものの見方も大きく変化する。

 

現在、あるところに……

そこで、無粋に無粋を重ねて、この有名な寓話が、第三次産業革命※2後の現在であれば、どのようにアレンジされるか考えてみた。

 

※2 第三次産業革命…コンピュータとインターネットにより引き起こされた産業革命。概ね1995年~現在までの産業の変化のこと。

 

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アリとキリギリス 第三次産業革命版

 

現在、あるところに、単純労働しかできないアリたちと、歌唱力に秀でたキリギリスがいました。

アリたちは夏の暑い最中もエサを運ぶことしかできず、せめて冬への備えにと蓄えていました。

一方のキリギリスは歌って遊んだ動画をネットに投稿して、多くの視聴者を楽しませていました。

やがて寒い冬がやって来て、エサを運ぶことしかできないアリたちは巣の中で春になるのをじっと待つだけです。冬が長引くとエサが底をつくかもしれません。キリギリスはネットさえつながればどこでも仕事ができます。寒い冬をじっと耐えるのではなく、暖かい土地に移住し、今日も元気に歌って遊んでいました。

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第三次産業革命版には重要なポイントが2つある。

一つは、遊びと仕事との境目が以前ほど明確ではない、ということ。インターネットの普及により、誰でも簡単に情報を発信できるようになった。すなわちキリギリスが歌っているのを単なる遊びだと非難することは、すでに人間的な視点からも正当化されない。

かつては「好きなことを仕事にする」ためには、類い稀な才能と桁外れの強運が必要だった。だが、インターネットはそのハードルを劇的に下げた。なおかつ、情報を発信するコストも劇的に下がっている。「Wired」創刊編集長のケヴィン・ケリーはインターネット時代には、1000人の忠実なファンが付けば、好きなことで生きていくことは十分に可能だと主張する。(『ケヴィン・ケリー著作選集1』 堺屋七左衛門訳 ポット出版)

もう一つのポイントは、いかにハードルが下がったとはいえ、この物語のキリギリスのように成功する者は依然一握りであろう、ということだ。この成功したキリギリスの背後には、たくさんの無名のキリギリスが冬の飢えに震えている。

産業構造が変わっても結局イソップの警鐘は正しいということなのだろうか? では、成功したキリギリスには「時代の寵児」と称賛を贈り、成功しなかったキリギリスを「自己責任」として、冬の寒空の下に放り出すのが正しい行動なのだろうか?

 

未来、あるところに……

その答えを探る前に、さらにアップデートされたアリとキリギリスも読んでみよう。第四次産業革命※3版だ。

 

※3 第四次産業革命…今後起きると見られるAIと3Dプリンタ、IoTなどによる産業の変化のこと。

 

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アリとキリギリス 第四次産業革命版

 

未来、あるところに、単純労働しかできないアリたちと、歌唱力に秀でたキリギリスがいました。

アリたちの仕事はAIとロボットが取って代わっています。

一方でキリギリスの歌にはAIにない個性や創造性があり、多くの視聴者を楽しませています。

やがて寒い冬がやって来て、アリたちにはベーシックインカム(BI)が支給されます。することがないアリたちはキリギリスの歌と遊びを視聴しながら、春が来るのを待っています。

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生産性でAIとロボットに劣るアリたちにはBIが支給される。その財源はAIやロボットが産み出した価値と、キリギリスのようなAIにはできない仕事をする者たちが収める税金・社会保険料だ。キリギリスもこの政策に賛成せざるを得ない。視聴者が自分の楽曲を消費するために、BIの支給はなくてはならないからだ。

もちろん、第三次産業革命のバージョンと同じく、成功したキリギリスの背後には、たくさんの成功しなかったキリギリスたちがいる。だが、このBI社会においては、彼らへの評価は自明だと思われる。

成功したキリギリスがBIを支え、退屈なアリたちに娯楽を提供する。そうであれば、全キリギリスの挑戦は社会全体への見えない貢献だ。結果がたとえ不成功だったとしても、その挑戦には称賛が贈られるべきなのだ。

イソップがオリジナルのバージョンを作った時代から「努力」や「仕事」の概念は大きく変化した。当然今後も変化する。教育の役割も変わる。キリギリスのような才能に恵まれなくとも、誰もが社会の一員として何らかの貢献をして、幸せに暮らすことができる、そんな社会を築くために教育ができることは決して少なくない。

 

ミライノマナビ編集部

ミライノマナビ編集部

グローバル化&AI化が子供たちにとって明るい未来となってほしい。来るべき未来に対して教育は何ができるのか、子育て世代やこれから社会に出る若者たちみんなが考えるきっかけを提供していきます。

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