2021年度より中学校で、22年度に高校で、新しい学習指導要領が全面実施されました。これまで重視してきた「知識・技能」に加えて「思考力・判断力・表現力等」と「学びに向かう力・人間性」の育成が目指されます。そのために「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)に力を入れることになります。このコーナーでは、なぜこのような教育の改革が必要なのかを、シリーズでお伝えします。今回は従来の成績評価(総括的評価)と探究的な学びとの対立する点について考えます。
探究的な学びを阻害するもの
本誌では、2020年学習指導要領改訂前後から現在までの新しい学びの多くを取材してきました。学習指導要領は「思考力」「表現力」や「学びに向かう力」を重視し、「探究的な学び」をカリキュラムに組み入れてスタートしています。探究学習に上手に取り組んでいる学校では、生徒が本来的に持っている興味や関心をそのまま学びへとつなげる工夫を感じています。
新しい学習指導要領に対応しようとする先生方の熱意や勤勉さには頭が下がる思いです。しかしながら、現在の学校制度のもとでは、探究的な学びを探究的な態度から遠ざけるものが残存しています。それは学校がテストの点数や成果物を基に「成績をつける」あるいは「評価する」場所だということです。どういうことか、以下で見ていきましょう。
成績の自己目的化
そもそも、誰かに評価されるという報酬がなくても、人は興味関心を持てば、放っておいても学びを進める生き物です。そして、頼まれもしないのに成果物を生み出し、世の中に公表しようとします。芸術作品の多くはそうして産み出されるし、優れた学術研究の原動力も同じです。
ところが、現在の学校では「良い成績を得ること」自体が目的になってしまっています。保護者も教員も、さらには生徒本人もそれらが「良いこと」「価値のあること」と思い込んでいます。
もちろん、興味関心を持った結果として、高い評価に至る場合もあります。このような経緯で成績を伸ばしているのであれば理想的な学校のあり方だと言えるでしょう。しかし、このようなケースはまだまだ少数派です。
大人が学ばない国
「良い成績を得るために学ぶ」ことの何が悪いのか? という意見があるかもしれません。確かに学習指導要領も「探究的に学ぶ」ことを奨励してはいますが、「良い成績を得るために学んではいけない」とは書いていません。
しかしながら「良い成績を得るために学ぶ」ことにはいくつかの弊害があります。テストや成果物から生徒の成績をつける評価方法を「総括的評価」と呼びます。この評価方法には多くの問題点が指摘されていて、たとえば「暗記中心の学習に陥りやすい」「学習者本人へのフィードバックが乏しい(学びを促進しない)」などが挙げられています。
暗記中心の学習は、保護者のみなさんも体験してきたことかもしれません。人間の脳は基本的に興味のないことを覚えるのが苦手です。従来は、この脳の本質的な苦手を克服できた人を高く評価するという歪な成績の付け方を行なってきました。
学びを促進しないことはより深刻な弊害です。国際的な評価によると、我が国は「大人が学習しない」という結果が出ています。アジア・欧米の18カ国との比較で、日本の社会人は、社外での学習・自己研鑽において、「読書」23.2%(18カ国平均34.5% 以下同)、「研修・セミナーなど」11.6%(18カ国平均30.4%)などほとんどの項目で平均より低く「特に何も行なっていない」52.6%(18.0%)が多数でした※。
このことは、日本が上位に入るPISAなどの国際的な学力調査と対照的な結果です。日本の就業環境が社会人に勉強する余裕を持たせないという側面もあるかもしれませんが、一方で「学校でやらされることだけが勉強」という意識の表れとも考えられます。それは同時に「勉強とは、自ら興味関心を持って行う取り組み」という学習の本来の姿を持たせることができていない、ということでもあるでしょう。
※ パーソル総合研究所 「グローバル就業実態・成長意識調査(2022年)」
探究学習を活かす評価方法へ
探究学習でも成果物への評価は行われますが、それだけが学習の目標ではありません。生徒自身が興味を持ち、それを調べて発表することが学習だという意識を持つことがより重要なのです。学びは「誰かにさせられる」ものでもなく「良い成績を得る」ためでもない「興味があるからする」ものだと体感することこそ探究学習の肝なのです。興味を持って取り組んだことは、成果物の評価などよりもずっと大きな財産になります。大学で、社会で、あるいは趣味として、人生の一部を形作るものになるからです。
コンピュータとAIの時代に、教育とは「社会に出るための準備」よりも「変化を続ける社会に対応できる学び方を学ぶこと」としての意義が強くなりました。言い換えると「カタパルト」としての教育ではなく「自走」できるための教育です。卒業後も自走できる学び、すなわち、興味関心に基づいて学びを継続するために、学齢期では、成果物だけを評価するのではなく、学びそのものの楽しさを体験することが重要になるでしょう。探究学習をそのための学びとしてより良いものにするために、総括的評価を重視する従来の学力観を改める必要があるのです。