人間は「生まれ」か「育ち」か
今回は「人間は生まれか育ちか」論争に対してテクノロジーはどんな影響を与えるか考えてみます。
人間は白紙の状態で生まれてくるという「タブラ・ラサ説」は教育を重視し、教育の普及・発展に大きく寄与したことは知られていますが、人は親から受け継いだ遺伝子を持って生まれるためそもそも白紙ではなく、家庭環境や教育にも人生は大きく左右されるため、結論としては、「生まれ」も「育ち」も両方大切だと考えられます。
遺伝子が原因となって生命活動が生じるため、誕生時に心身に障害があったり、個別の特徴があったり様々な個性が生じます。生まれ持った特性とその後の遺伝子の発現によって、学ぶスピードも深さも、意欲も異なるため、「生まれ」は人生において重要なファクターと考えられます。
「育ち」は教育環境のことだと考えられますが、こちらも大切です。肉体や精神、知能面で問題がない状態で生まれてきても、適切な教育を受けられなかった場合、本来の能力を引き出すことはできません。
例えば健全な肉体を有していても、オオカミに育てられたのでは人の言葉を話すことはできません。逆に生まれ持った個性を無視した教育をしてしまうことで伸び悩んでしまうこともあるため、個人の個性に合わせた最適な教育環境を整えることが、より実り多い人生を歩むには不可欠です。
テクノロジーの恩恵が「生まれ」にも「育ち」にも
それでは、テクノロジーが「生まれ」や「育ち」に影響を与えることは可能でしょうか。私は多くの影響を与えることが可能であると考えます。
まず、「生まれ」つまり遺伝子へのテクノロジーの関与に関して考えてみたいと思います。パートナーの家族歴を評価し、必要に応じて血液や組織のサンプルを分析する遺伝子スクリーニング技術を使うことで、子が疾患を持って生まれる確率が分かります。
しかしながら、生命科学者の倫理的なコンセンサスでは、人の受精卵への遺伝子改変は基本的に行うべきではないとされています。では「生まれ」は運頼みなのかというと必ずしもそうではなく、子供が誕生した後に行われる遺伝子治療があり、単一の遺伝子疾患の場合、現在でも治療に目覚ましい成果を上げています。誕生後の生体に遺伝子改変を行う研究は進展が著しい分野です※1。
将来、我々自身がヒトゲノムの働きをより深く知り、編集技術が高まれば、副作用などのリスクも少なく、死因に直結する遺伝子などを修正することができるようになるでしょう。この技術が一般的になれば、人間では知覚できない色域や音域、電波を感知したり、骨や筋を強化したり、ケガの修復を早くしたり、スタミナをより長く持続したり、高い知能を持たせたりすることも可能になるかもしれません。
「育ち」つまり教育環境においても、テクノロジーが関与できる部分は非常に大きく、遺伝子改変よりも多くの方がすぐに恩恵を受けられると考えられます。
2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」の4番に教育(質の高い教育をみんなに)が設定されたこともあり、全ての人々が生涯にわたって質の高い教育を受けられることが世界の目標となりました。
それに伴い今後は量としての教育コンテンツが充実し、次により個人に合わせた教育で効率的な学びが得られる機会が増え続けることになるでしょう。実際にeラーニングツールやMOOC※2など、オンライン学習コンテンツは増加傾向にあります。効率的な学びに関しても個人の学習の癖を計測したり人間の学習傾向を分析することで、深さも継続性も維持しながら学べる方法論も出てきています。EdTech※3市場は今後も増加し、より多くの人が恩恵を受けられるようになるでしょう。
さて、今回は「人間は生まれか育ちか」という素朴な問いへのテクノロジーの影響を考えてみましたが、生物学的には「遺伝子型が表現型になるにあたって、環境との相互作用がどのように影響するか、というのが正しい問いの立て方である」との指摘※4がなされており、両者は共に重要であると考えられます。そこにテクノロジーが関与できる部分は幅広く、今後もより多くの人々に恩恵を与えてくれるものと信じています。
※1 理化学研究所 2016年研究成果「生体内ゲノム編集の新技術を開発-非分裂細胞に有効な遺伝子ノックイン法『HITI』-」
※2 Massive Open Online Course インターネット上で誰もが受講できる大規模な開かれた講義のこと。日本版としてはJMOOCが講義を提供するものがある。
※3 EducationとTechnologyを組み合わせた造語。テクノロジーの活用した新たな教育方法や既存の方法の最適化などのこと。
※4 長谷川眞理子「心の探求」(長谷川眞理子編著『ヒトの心はどこから生まれるのか生物学からみる心の進化』ウェッジ選書、2008年)22頁。