密を避けようとする学校の苦心
教育ジャーナリストという仕事柄、学校に授業を観に行くことが多い。教室に入ると机の隙間を歩くことが難儀なこともある。特に高校では持ち物が多くバッグなども大きくなり通路はさらに狭くなる。身体が大きいから教室の中で圧迫感を感じることがある。
コロナ禍において、学校でも「密を避ける」ことが求められている。十代の若者にとって、つい大声で話しをしたり近距離で戯れあうことはごく自然なことであるから、果たして密を避けられるだろうか。学校運営者はハラハラドキドキだろう。
分散登校をさせていた頃は教室の人数を半分にして、密を避けながら授業をした学校もあるだろう。しかし、これは教員の負担が大きい。
インターネットを介した「家庭学習の遠隔指導」をするにしてもICTの環境が学校、家庭ともにまだまだ整っているとは言い難い。小学校や中学校では「GIGAスクール構想」※によって、学校のICT基盤整備がなされ情報端末も生徒児童に一人一台配備するようになるものの、高校ではまだまだ実現される様子はない。
東京の都心部では未だに感染予防のために、学校での授業を再開せず、登校日のみのところもある。登校日を学年ごとに設けて課題の提出や実習をともなう体育などの授業のみを行うところもある。
未だ分散登校を続けて教室の人数を半分にして授業をしているところもある。現状では症状のある感染者は識別できるが、症状のない感染者を識別できないからだ。
※GIGAスクール構想…文科省が推進する学校におけるICT基盤整備。義務教育段階から1人1台のPCと高速ネットワーク環境を整備して、ICTの教育活用や校務の効率化などを図る。
大学の再開が難しい理由
大学のキャンパスを開けろと、一部の感情に流れやすい政治家や運営に関心のない大学教員は主張するが現実はそう簡単ではない。教室を分けて密を避けるには教室がたりない。受講の自由度が中高と比べて高く時間割の調整が必要な分散登校は難しい。大学の努力によって東京の一部大学は部分的にキャンパスを開くところもあるが、それも限界がある。すべての大学でそれができるわけではない。学生の中には感染予防から公共の交通機関を使っての通学を望まない学生もいる。大学も学生を守るために感染で大学名が出ることを避けたい。最近はSNSでの誹謗がなされるケースが多い。部外者があれこれ言うのではなく、地域の状況や大学の対応可能な範囲に応じて大学の自主性に任せたいところだ。
いずれにしても、公共の交通機関を利用して通学をするようなところや、感染が未だに収まらない都市部などでは、学校の再開状況は様々であって当然だろう。まずは密を避けることが重要課題なのだ。
IB校の特徴がそのまま生かされた
さてIB校はどうだろうか。
緊急事態宣言中はオンラインを中心に授業を展開して、解除後は、他のコースが密を避けて分散登校する中、IBコースでは分散させずに授業を展開できている。
東京の都心、千代田区にある千代田高等学院高等学校のIBコースもそうだ。都心にありながらも感染による授業の遅れもなく、再開後の授業運営も問題なく展開されている。休校中はオンラインで課題を出して資料も配布。一方通行にクラス全員に動画を配信することを超えて、オンラインで生徒から提出された課題には教員が内容をチェックして、生徒個々の様子や興味関心を的確に把握した上でのアドバイスをする。だから、探究学習で重要な生徒の興味関心をより引き出すことも可能なのだ。普段から双方向のやりとりが日常的に行われているので、教員にも生徒にも負担がない。
こうしたきめ細やかなことができるのは、IBのディプロマ・プログラム(DP)はどこも最大20名のコースだからだ。これ以上の規模になると探究学習を行うのに無理が出てくる。
そして、IBコースの生徒は資料配布も課題提出もオンライン中心であり、こうしたオンラインでの対応は日常である。だからオンライン環境が整備されていない学校のように、登校日や分散登校で課題や資料を受け取ったり課題を提出したりするためにわざわざ登校する必要がない。オンラインで双方向で授業がなされているので、生徒同士のコミュニケーションもオンラインで十分に行われている。クラスメイトの人となりがわかっているので、学校再開直後でも授業で発言する際の安心感があり、問題なく授業を進行できる。
このようにIBコースでは、少人数教室、ICTの活用により、授業に支障をきたすことがほとんどなかったようだ。