近年、進学校でも進路として関心が高まっている海外大学。ただ、まだまだハードルが高いと考えている家庭が多いのではないでしょうか? 本連載では、日本の高校から米国・ニューヨーク州の名門コロンビア大学に進学し、高校生の海外進学を支援する活動に取り組む田中祐太朗さん、李卓衍さんに海外進学の実際をお聞きします。
Q. なぜ東大や京大ではなく、アメリカへ?
A.
田中:私は幼少期にイギリスに住んでいたものの、留学するまではアメリカに行ったことがなく、コロンビア大のキャンパスにも新入生オリエンテーション当日まで行ったことがありませんでした。私自身が海外、とりわけアメリカの大学に進学しようと決意したのは、高校2年生の時でした。それまでは日本の大学に進学した後に、ゆくゆくは海外にいきたいと考えていました。
志望大学を選ぶため、日本や海外、様々な大学にいる大学生の話を聞いていく中で、入学の段階からアメリカの大学に進学したいという思いが高まりました。各分野の第一線で活躍する研究者に師事し、世界中から集まった多様性に富む同年代の学生と共に住み、学び、切磋琢磨できる環境は高校生の私に非常に魅力的に映りました。
李:海外に住んでいた小学生時代から、アメリカのトップ大学は最高の学問的水準だけではなく、自分らしくいられる場所を提供してくれると思っていました。特に気に入ったのは、周りに合わせることなく、自分のペースで物事に取り組むことを認めてくれるところです。特定分野の才能ではなく総合的な成績を評価する傾向がある日本よりも、自分の長所を伸ばすことに注力できると思い、海外留学を目指しました。
Q. 高校の友人、教師、保護者の反応は?
A.
田中:親には進路に関してあまり口出しはされず、かなり自由に自分の思い描く進路を追い求めることができ、感謝しています。唯一言われたのは、 アメリカの大学の学費は非常に高い(年間約900万円)が、家庭の負担は日本の国公立大学程度でないと難しい、という点でした。幸い大学からの学費免除、奨学金を頂いて進学することができています。
母校の西大和学園では少しずつグローバル志向の教育は推進されているものの、海外の大学に直接進学する人はまだ毎年数名ほどです。大多数の生徒が難関国公立大学を志す中で、同級生の多くには不思議がられました。ただ、受験に関して変な目を向けられることはありませんでした。また、担任の先生を始め、多くの先生方に応援され、本当に感謝しています。
李:私も田中くんと同じく、学費面の懸念を除けばほぼ完全に両親の理解を得られていました。ただ、理解してもらえたのは、両親に海外滞在経験があったからだと思います。首都圏ですら遠い山口県から海を渡ることは、どんな親でも心配すると思います。そんな不安を抱えつつも子供の夢を応援してくれたことには感謝の念しかありません。
Q. 海外大学受験の難しいところは?
A.
田中:一番の難しさは、自分がどの程度合格する可能性があるのかがわからないところです。日本の大学受験だと、模試でこの程度の点数が取れたら、これぐらいの確率で受かる、という指標があり、後どの程度頑張れば合格できるのか、すごくはっきり数字として出ます。逆にアメリカの大学を受験する際、テストで満点、学校の成績で満点取ったとしても、合格するかどうかはわからない。「全人的」な審査が行われるため、自分があと何をどれぐらい頑張れば良いのか、というのが全く見えない、ということが難しいことだと思います。
李:私もそれは感じました。付け加えていうと、海外大学受験はある意味情報戦でもあるので、多くの受験生はSNSや知人をたどって各大学にいる先輩に意見を聞いたり、海外大受験指導塾からコンサルティングを受けたりすると思います。しかし、それぞれの主観的な意見に惑わされ、どうすればいいのか見失い、受験の壁を過度に高く感じて、精神的に辛くなる場合があります。私自身も海外大受験を通して情報収集能力は格段に上がったと思っていますが、常に情報にはレッテルが貼られていることを忘れずに接しなくてはならない、と気づいたのはかなり後のことでした。
Q. それでも行きたいと思った理由は?
A.
田中:アメリカの大学の多くでは、専攻は2年の前期まで最終決定する必要がありません。受験期に進学したい学部を決めきれない中で、専攻に縛られず幅広く授業を履修でき、異なる分野で副専攻が取れる自由度の高いリベラルアーツ教育に非常に惹かれました。
現に大学に入った後、大学の勉強を進めていく中で、自分が勉強したい分野が何度か変わり、自分が最もやりたい分野にたどり着けました。さらには理工学部に属しつつ副専攻として哲学を履修できています。
李:かなり理性的な答えですね(笑)。私はどちらかというと、難しいものほど挑戦したいという性格が推進力になっていたと思います。特に国内受験だと合格までのルートは見えやすいですが、海外大学はどちらに転ぶかが全く見当つかない。万が一のためにプランBを用意した上で、より険しい山を登ってみることは、思わぬ形で自分に還元する経験になるという期待もありました。母校ではほぼ前代未聞の進路を目指すということで、一般的な進路から外れることへの不安も多々ありましたが、最後は直感に従ってアメリカの大学を受験しました。