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ミライノマナビコラム  ― 未来を生きるアドラーの教え

2022.5.6

第17回 子どもを見守ろう

岸見 一郎

岸見 一郎

日本アドラー心理学会顧問
1956年京都に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)にて日本にアドラー心理学を広く紹介。近著に『子どもをのばすアドラーの言葉―子育ての勇気』(幻冬舎)、『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(ダイヤモンド社)など。

 

子どもが何か課題に挑む時、親は不安になってしまうものです。しかし、アドラーによると、このような不安を子どもに見せてしまうと、子どもの自立によくない影響をもたらします。では、どのような態度で子どもに接すれば良いのでしょうか。

 

不安は有用ではない

 子どもは親が知らないうちに成長しています。ところが、自力では何もできなかった頃から子どもと関わってきた親は、子どもがいろいろなことができるようになっているという現実をなかなか受け入れることができないのです。子どもが何かに挑戦しようとするのを見ると不安になります。しかし、ただ見守るしかありません。

 アドラーは次のようにいいます。

「不安は決して有用ではない。もしもわれわれが冷静になれば、子どもは真の危険と困難に直面できるだろう」Adler Speaks

 それなのに、子どもが何か課題に挑む時に親が過剰に心配すれば、子どもは親がそのように心配することを、勇気を持って課題に取り組むのを回避するために利用するかもしれません。

 親までもが自分を信頼してくれていない、だから自信をなくした、やる気をなくしたというようなことをいうかもしれません。

 子育ての最終の目標は自立なので、子どもが親の手を借りないで自分の課題をこなせるようになれば、子育てに成功したということですが、多くの親はそれを認めようとはせず、いつまでも子どもに関わりたいと思います。子どもを信頼できていないからです。それは、子どもに干渉することに自分の存在意味を見出しているからでもあります。そうすることで、たとえ子どもから嫌われても、子どものためだと信じて干渉をやめようとはしません。

 そこで、大きくなった子どもにも注意をします。例えば次のような態度をとります。

「いつも子どもたちの健康に心配しているように見せなさい。そして、外に一人で出て行くことの危険や、どんなことでも自力ですることについて過度に警告しなさい」(前掲書)

 

心配は子どもを臆病にする

 もちろん、アドラーはこのことを奨励しているわけではありません。この言葉には続きがあり、心配ばかりしていると子どもはどうなるかが記されています

「そうすれば、人生はあまりに困難であると信じるようになるだろう。ためらい臆病になるだろう。そして、いつも安易な逃げ道を探すようになるだろう」(前掲書)

 この困難には対人関係も含まれます。子どもが友人との関係で悩むのを見たくなければ、子どもが誰とも付き合わないようにすればいいのです。

「子どもたちを他の子どもたちから孤立させなさい」(前掲書)

 もちろん、これもそれがいいといっているわけではありません。

「そうすれば、他の人とうまくやっていく方法を決して学ぶことなく、友情と協力が可能であることを知らずに人生を送ることになるだろう。また、決して社会の中でくつろぐことはなく、大人になって人生の諸問題に直面する時、子どもたちは何もできなくなるだろう。すべての問題はわれわれだけではなく、他の人をも巻き込む対人関係の問題だからである」(前掲書)

 他の子どもから孤立することになっても、あるいはそうなれば余計に親は子どもを自分のもとに置こうとします。子どもは親に守られて危険な世界と対峙して生きていくことになりますが、親とだけ協力できても、社会から孤立すれば生きていくことはできません。

 自分が守られている世界から一歩外に出れば、そこは危険なところだと思うような子どもたちには思いもよらないことでしょうが、他者と友情を取り結び、他者と協力することは決して煩わしいことではなく、そうすることで「社会の中でくつろぐ」ことができるのです。

 他者との関わりを子どもの頃から回避してきた子どもは、対人関係の中で訓練を受けていないので、他者と共生していかなければならないこの世界の中で孤立して生きることになります。

 他者との対人関係上の問題は回避できないので、たしかに対人関係は悩みの源泉といえますが、生きる喜びも対人関係からしか得ることはできないのも本当です。子どものためによかれと思ってしていることがそうではないことがあるのです。

 

見守るのであって放任ではない

 子どもの課題に親が手出し口出しするのは簡単ですが、あえて見守る勇気が必要です。とはいえ、これは放任を勧めているわけではありません。本当に助けが必要な時のために待機していなければなりません。

 子どもがつらそうにしているのを見た母親がこう声をかけました。
「お母さんに何かできることない?」

 そう問われた子どもは即答しました。
「うん、ある。放っておいて」

 翌日、子どもは晴れ晴れとした表情で学校から帰ってきました。そして、こういいました。
「昨日は友だちと喧嘩をしてつらかったけれど、今日は仲直りできてよかった」

 それを聞いた親はこう思いました。
「私は何もできなかったけれど、子どもが自分の問題を自分で解決できたのを知って嬉しかった」と。親は子どもが自分の課題を自分で解決できると信頼できなければなりません。

 以上の話は子どもの受験にも当てはまります。親ができることはありません。代わりに受験するわけにはいかないのですから。

 

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