――臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する――小説家・伊坂幸太郎が『PK』で引用したアドラーの言葉です。物語では勇気の伝染が歴史を変えるほどの力を持っていましたが、子どもの人生にとっても、勇気の伝染は同じような力を持っています。アドラーの言葉をもとに、周囲の大人のあるべき姿を考えていきましょう。
困難に直面することを教える
人生が自分の思い通りにならないという経験をするのは、大人だけではありません。子どもたちも同じです。何事も努力なしに安直に達成することはできません。さらに、試験であれば、一生懸命勉強しても必ず努力が実るとは限りません。そのような時に、親や教師が適切な対処をしなければ、一度でもこのような経験をすると、以後結果が出ることを恐れ、取り組むべき課題から「安易な逃げ道を探す」(Adler Speaks)ようになるかもしれません。
課題に直面するのは子どもであり、自分の望む結果を得られずつらい思いをしても、自分で解決するしかないというのは逃れようのない事実ですが、できるものなら子どもが困難を切り抜けるための勇気を持てる援助をしたいものです。
そこで、逃げ出すことなく困難な課題に直面できるようにするために、どんなことを子どもたちに教えなければならないかをこれまで見てきました。
その際、子どもが大人と対等であり関係が近いと感じられなければ、大人が正論をいっても子どもは大人のいうことを受け入れようとはしないでしょう。
臆病も勇気も伝染する
子どもが大人のいうことに耳を傾けられるために必要なことがもう一つあります。伊坂幸太郎が『PK』(講談社)の中で、アドラーの言葉を引用しています。
「臆病は伝染する」
一人が恐怖のために挫けしゃがみ込めば、その人の臆病は他者にも連鎖していきます。さらに、この言葉には続きがあると小説の登場人物はいいます。
「そして、勇気も伝染する」
伊坂が引用するアドラーの元の言葉は次のようなものです。
「勇気と協力は自分自身が勇気があり、協力的な人からしか学ぶことができない。安易な出口を探すことなく人生の課題に直面する人、人類と共にくつろぐ人、生きるための創造的な努力を続けるために必要な資質を備えた人は、勇気を表現できるように他の人を訓練するのに最適である。臆病と同様、勇気は伝染する。もしもわれわれがわれわれの勇気を持ち続けていれば、他の人が勇気を出すのを助けることができる」(Adler Speaks)
「安易な出口を探すことなく人生の課題に直面する人」は勇気がある人です。「人類と共にくつろぐ人」は意味がとりにくいですが、他者が自分を陥れるかもしれない「敵」ではなく「仲間」と見なしている人です。他者を敵と見なしていれば、くつろぐことはできません。
「人類と共に」(with humanity)は「仲間」と訳すことができるドイツ語のMitmenschen(人と結びついている)に相当します。他者と敵対しているのではなく、結びついていると感じられるというのが、アドラーのいう「共同体感覚」(Mitmenschlichkeit)です。他者を仲間だと思えればこそ、他者に協力しようと思えるのです。
さらに、他者と結びつき、くつろぎつつ生きるためには「創造的な努力」、言い換えると、与えられた状況で人生の課題から逃げるのでなく、それを解決する努力が必要です。
このような意味での勇気や協力は、勇気があり協力的な人からしか学ぶことができないとアドラーはいうのです。
子どもは大人の語る言葉からではなく、大人がやっていることから学びます。大人がいうこととやっていることが裏腹であれば、大人がいっていることがどれほど立派でも、子どもは大人のいうことを聞くことはありません。
子どもに口やかましく「勉強しなさい」という親がソファに寝そべってスマホばかり見ているようであれば、子どもは勉強しないでしょう。大人と子どもは違う、昼間仕事をしていたのだから今は疲れているのだといってみても、子どもも昼間学校で勉強してきているのです。
大人がモデルとなり子どもに勇気を与える
臆病は感染症のように容易に伝染します。「安易な逃げ道」(Adler Speaks)を探して課題から逃げるのを真似るのは難しいことではありません。あんなふうに途中でやめてもいいのだと、それを勇気ある決断とまで思ってしまうかもしれません。
しかし、勇気は感染症と違って何もしなくても伝染するわけではありません。勇気を持つこと自体に意識的な努力が必要です。そのような努力をした人の勇気と協力だけが伝染するのです。また、そのような人を見れば、自動的に勇気が伝染するわけでもありません。勇気があり協力的な人から「学ぶ」必要があります。
それでも、モデルがいれば学びやすいのは本当です。従前と同じことをしている限り、同じことが起きます。だから、一大決心をして変わろうと思っても、これまでと違う生き方をすることには不安が伴います。そのような時、「私もあなたと同じような問題で躓き悩んでいたことがあるが、今は苦境から脱し、立ち直ることができた」という大人が近くにいることが、困難に直面している子どもに勇気を与えることになります。
そのような人は課題に勇気を持って直面し、他者に協力することがいかに難しいかということを知っているので、自分を棚上げにして子どもに変わることを強いることはないでしょう。