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ミライノマナビコラム  ― 未来を生きるアドラーの教え

2024.11.8

第27回 親と子どもが協力して生きる

岸見 一郎

岸見 一郎

日本アドラー心理学会顧問
1956年京都に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)にて日本にアドラー心理学を広く紹介。近著に『子どもをのばすアドラーの言葉―子育ての勇気』(幻冬舎)、『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(ダイヤモンド社)など。

「どんな人生を生きるかは子ども自身の課題で、親といえども土足で踏み込んではいけない」これはアドラー心理学の重要な考え方の一つです。では、親は子どもに助力することができないのでしょうか? もちろん、そんなことはありません。今回は、アドラーの言葉を元に、親子の協力はどうあるべきかについて考えます。

 

親ができることとできないこと

 どんな人生を生きるかは子どもの課題であり、子どもが自分で決めるしかありませんが、親として何か子どもの力になれることはないかという相談を受けることはよくあります。もちろん、親ができることはありますが、次の二点に気をつけなければなりません。

 まず、子どもの課題には親だからといっていわば土足で踏み込むことはできないということです。次に、教育の目標は、自立であるということを知っていなければなりません。

 アドラーは次のように述べています。

「親の課題は、自分で自分のことができるようになるように、子どもにできるだけすぐれた人生の準備をすることである」(『子どもの教育』)

 子どもは一人で生きていけないので、親の協力が必要です。しかし、親が子どもに協力する際には、誰の課題なのかをはっきりと理解した上で、協力することによって子どもの自立を妨げてはいけません。

 このことを理解していれば、本来子どもの課題であっても、親子の共同の課題にすることはできます。問題は、共同の課題にできることを知った親が、どんなことでも共同の課題にできると考え、子どもの課題に土足で踏み込んでしまうことです。

 幼い頃は何もできなかった子どもが、やがて自分で何でもできるようなると、親が子どもに手出し口出しする機会は減っていきます。しかし、子どもがどんな人生を生きるかという課題は、子どものものであるにもかかわらず、多くの親は子どもの人生にレールを敷くのは親の役目だと考え、口を出してしまいます。

 親子どもに選択肢を示すことは必要かもしれませんが、多くの場合、親の価値観から大きく外れるような選択肢入れることはありません。

 受験についていえば、子どもが自力で十分な情報を集められない場合、親が協力することはできますが、そもそも子どもが受験を望んでいなければ、親がしているのは協力ではなく、自分の希望を押し付けているにすぎません。

 親は子どもが自立するために「人生の準備」をしているといいたいでしょうが、子どもが親の敷いたレールに乗れば、子どもは自立させられたのであり、自立したことにはなりません。

 

共同の課題にする時に必要なこと

 共同の課題にするためには、適切な手続きを踏まなければなりません。例えば、受験について話をしたいと申し出ても、子どもが話したくないといったら引き下がるしかありません。子どもが話し合いに同意したとすれば、親は自分の意見を述べることはできますが、それを押し付けることはできません。

 まず、親が自分の意見を述べる前に、子どもの話を聞かなければなりません。子どもは大きな決断を前にして不安を感じているかもしれませんし、課題に立ち向かう勇気を持てないでいるかもしれません。

 アドラーは次のように述べています。

「子どもを勇気づけようとする時には、最初に話に耳を傾けよう。その前に信頼を得られるような心の状態を作り出さなければならない。子どもに対して友人のようにふるまわなければならない。優越していることを示してはならず、抑圧したり、厳しく扱ってもならない」(『個人心理学の技術II』)

 親は子どもが自分の課題を自分で解決できると信頼していなければなりません。子どもは「自分は対等に見られていないと思ったら、親の話を聞こうとはしないでしょう。子どもが信頼されていると思えるためには、子どもの話を最後まで口を挟まず聞き、聞き終えた後も批判してはいけません。

 親が自分の意見を述べる場合でも、それがあくまで親の意見であることを強調し、その意見を受け入れるかどうかは子どもに委ねるべきです。

 

子どもの心に響く助言とは

 受験を始めとして、これからの子どもの人生について考える時、親は一度下した決断はいつでも撤回できること、失敗した時はやり直せるということを子どもに教えなければなりません。

 作家の龍應台は次のようにいっています。

「私たちが必死になって学んだのは、百メートル競争をどう勝つかであった。転んだらどうするかなんて、誰も教えてくれなかった」(『父を見送る』)

 競争社会は敗者のことを考慮しません。結果がすべてだと考える親は多いですが、競争して勝てなかった時にどうするかを親が教えなければ誰が教えられるでしょうか。

 NHKのテレビドラマ『虎に翼』で、長く裁判官を務めていた人が家具職人になるという話がありました。その人がその決断を父親に話した際、父親が反対することなく、(家具職人になると)思いついた時、法律を学んだ時と同じぐらい胸が熱くなったか?と問う場面が印象的でした。

 何か大きな決断を子どもがしなければならない時に、ドラマの父親のようにはっきりとした考えを持っていることが重要です。そのためには、親自身が自分の人生にどう向き合っているかを考えていなければなりません。この父親がいっていることが必ずしも正解とは限りませんが、このような助言は親自身が体験していなければできません。

 成績がいい子どもは皆受験するものだというような常識的な助言子どもには響かないでしょうし、そのような助言を無批判に受け入れるような子どもにしてはいけないのです。

 

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