MIRAI NO MANABI ミライノマナビ

ミライノマナビコラム  ― 子供たちのシンギュラリティ

2021.10.15

第15回 子供がやりたいことを存分にやらせた方がよい3つの理由

小泉 貴奥

日本シンギュラリティ協会 小泉 貴奧

米国テキサス大学アーリントン校学際学部卒。レイ・カーツワイルの思想に傾倒し、帰国後2007年に日本シンギュラリティ協会を設立。講演やセミナーを開催し概念の普及に努める。ベンチャー企業を3社立ち上げ、電子カルテや各種ネット系サービス、人工知能開発を行うなど、シンギュラリティの実現へ向けて邁進している。
日本シンギュラリティ協会
https://www.facebook.com/groups/JapanSingularityInstitute/

 

前回は子供自身がやりたいことを存分にやらせるべきだと書きましたが、今回はその理由などを深掘りしたいと思います。結論を大きくまとめると次の3つになります。
・非認知能力向上のため
・教育システム内の評価方法に固執すると実社会で評価を得られず、「無用者階級」時代を主体的に生きられないため
・現代の暗記型教育は子供を幸福にしないため
どういうことか、それぞれ説明しましょう。

 

非認知能力向上のため

 非認知能力とは従来型の基礎学力、基本知識・技能、専門性・専門知識以外の新しい能力※1といわれており、具体的には問題解決力、自己肯定感、協調性、探求心など16の多岐にわたる要素に分解されます。これらの能力は人生のあらゆる場面で重要になるIQでは測れない心の力・心の土台となるもので、幼少期の主体的な遊びで育ちやすいと言われています。

 確かに自分が興味あることをやっているときには次々にアイディアが湧いて来るものです。私の子供もご飯を食べる暇や寝る暇を惜しんでずっと遊んでおり、本人が望んで買ったおもちゃやさまざまな材料を組み合わせたり、一人でできないところは私に指示を出したりし、私の想像したこともないような物を毎回作り上げます。相手は未就学児ですが、こういった創造性は私にはできないことでもあり、尊敬や感動の気持ちと共に、可能な限り余計な介入はしないようにしています。(我慢しきれず怒ることもありますが)

 

教育システム内の評価方法に固執すると実社会で評価を得られず「無用者階級」時代を主体的に生きられないため

 将来より良い仕事を得るために、より偏差値の高い学校へ入学する。その目的を達成するためには、偏差値の高い学校が要求するテストで必要な点数を取らなければなりません。テストでは、いかに得意分野であろうと100点以上は取れないため、得意分野を伸ばすより苦手分野を克服する方が理にかなってしまいます

 ただ、実社会ではなんでもそつなくこなせることも必要かもしれませんが、特定の分野で圧倒的に秀でている方が重宝される場合が多いことも事実です。16歳の韓国人天才ハッカーが、分給10万円で米国にスカウトされたという話を例えに出すのは、セキュリティ=国防の分野なので特殊かもしれません。しかし、一般的な仕事であっても、相手が自分よりも優れていたり、その人の得意分野が印象に残っていたりするから一緒に働きたいと思うのではないでしょうか。その強みを幼少期などの早い段階から伸ばしていける力が主体的な遊びにはあります。

 加えて、今ある仕事が将来も存在し続ける保証はありません。フレイとオズボーンが2013年に発表した『The Future of Employment(雇用の未来)』という論文※2は、10〜20年後、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いと予測しました。また、ハラリの『ホモ・デウス』※3においては、将来テクノロジーの発展により「無用者階級」といわれる「社会の繁栄と力と華々しさに何の貢献もしない人々」が大量発生し「失業しているだけではなく雇用不能」だと書かれています。

 このような考えを聞くと、では無くならない仕事や新しく生まれる可能性のある仕事は何かを探してしまいます。そこに自分を合わせて生きるという方法もあるかもしれませんが、そもそも自分は何のために生きているのか、どう生きたいのか、そこを基準として思考してみても良いのではないかと思います。自分が熱中できる遊びから自らの特性を見出し、楽しみながら進んでいくことで、自らが全く新しい分野を切り開く可能性は多分にあります。

 

現代の暗記型教育は子供を幸福にしないため

 ル・ボンの『群衆心理』※4には、教科書の内容を鵜呑みにするだけで自分の判断力や創意を働かせない現代の教育は、人間を道徳的にも幸福にもしない、と書かれています。彼は成功の条件に「判断力、経験、創意、気概など」を挙げており、これらを教科書のなかで学ぶのではなく、実際の仕事から無数の感覚的な印象を得て消化し、自分のものとすることの重要性を説いており、これらは先述の非認知能力と重なる点があります。

 また、心理学における幸福研究の第一人者であるエド・ディナー※5は「生活に満足し、喜びを感じることが多く、悲しみや怒りといった嫌な感情をあまり感じないならば、その人の幸福度は高い。」と幸福度の定義をしていす。

 将来の生活の安定のため、さまざまな今の満足や喜びを犠牲にすることは果たして正しいのか、私は疑問に思います。現在は正解のない時代と言われていますが、そもそも時代とは、一人一人の意識が創り出すものかもしれません。子供も大人も、自らの「スキ」にシフトして、やりたいことに注力する人生はメリット豊富に思えますが、いかがでしょうか。

 

出典:
※1 平成30年3月27日 一般財団法人 日本生涯学習総合研究所「非認知能力」の概念に関する考察 http://www.shogai-soken.or.jp/htmltop/toppage.files/non-cog2018.pdf
※2 雇用の未来(The Future of Employment)全訳 https://note.com/astrohiro/n/na0d74a18688c
※3 『ホモ・デウス』 ユヴァル・ノア・ハラリ(著), 柴田裕之(訳) 2018年 河出書房新社
※4 『群集心理』 ギュスターヴ・ル・ボン(著), 桜井成夫(訳) 1993年 講談社学術文庫
※5 Diener, E.and E.M. Suh and Oishi S.(1997), “Recent Findings on Subjective wellbeing,” Indian Journal of Clinical Psychology, 24, p.25.

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