MIRAI NO MANABI ミライノマナビ

ミライノマナビコラム  ― 子供たちのシンギュラリティ

2023.1.13

第20回 子供たちの明るい未来のために考えるべきこと

小泉 貴奥

日本シンギュラリティ協会 小泉 貴奧

米国テキサス大学アーリントン校学際学部卒。レイ・カーツワイルの思想に傾倒し、帰国後2007年に日本シンギュラリティ協会を設立。講演やセミナーを開催し概念の普及に努める。ベンチャー企業を3社立ち上げ、電子カルテや各種ネット系サービス、人工知能開発を行うなど、シンギュラリティの実現へ向けて邁進している。
日本シンギュラリティ協会
https://www.facebook.com/groups/JapanSingularityInstitute/

本連載第16回から今の世界が向かう「グレートリセット」を軸に子供たちの未来を考えてきました。どうしても暗い将来予測が多くなっていました。今回は、そんな予測される近未来に対して、子供たちが明るく生きていくにはどうすれば良いのかを考えてみたいと思います。

子供たちは自由に思考できる

 本連載第16回から前回まで、子供たちの未来について悲観的な話ばかりをしてしまいましたが、それは今自分たちが置かれている現状を正しく理解できなければ、思考を変えようと思えず、結果自分の人生を歩むことができなくなってしまう、という思いがあってのことでした。

 何度もお伝えしていますが、私はここ数年で、自分の現実世界は自分の思考が創っているのだということを実感しました。しかし、年齢が上がるにつれ、教育やルール、道徳、常識、タブーなどで積み重なった様々な思考のバイアス・思考の癖が身に沁みついていますし、情報を発信する側は彼らの”常識”をことあるごとに押し付けてくるため、自分の思考の癖に気づき、それを修正することの困難さも実感しています。

 しかし、子供は違います。一般的に、年齢が進むにつれ、教育や周囲の影響を受け思考が固定化されていきますが、子供は、そういった余計な知識がなく、まだ思考の固定化がなされていないので、自由です。

「素直ないい子」のリスク

 私は、現在の行き過ぎたグローバル資本主義の延長線上にある社会のひとつは、奴隷制度を厳しくしたような超管理社会になると考えています。子供たちの幸せを考えようにも、今我々が考えるような幸福には遠く及ばないような「今日食べられただけで幸せ」「生きているだけでありがたいといったような厳しい世界になることも十分にあり得るのです

 どういう世界を生きたいか、それを選択するのは個人の自由ですが、そういう世界が嫌であるならば、できることは一人一人が疑問を持ち、納得できないことには従わない、という一つ一つの思考と決断、行動しかないと私は考えます。

 そういう意味では、親や教師の言うことを素直に聞くいい子よりも、頑固な子供の方が結果的に自分の人生を歩みやすいのではないかと感じていますいい子という言葉は、大人にとって”都合のいい子”だと私は最近頭の中で変換されて聞こえてしまいます。いい子は他人や社会にとって操作やすいからです。子供としては親や教師の喜ぶ顔が見たい、という動機もあるかもしれませんが、そのような子供が将来、周囲からどのような評価を得るのかはその人が置かれた状況によって変わるため、ボラティリティ(変動性)の高い不安定な幸福になります。対して自分の中に幸福の絶対基準(好きか嫌いか)を持ち、それに従うことができれば安定して幸福に生きていくことができるでしょう。

 また、他人に言われたことに納得して従うならよいのですが、いい子でいようとすると、そうでない場合が多くなります。それに対して、自分で判断して決定するならば、納得感は大きく違います。自分で思考し行動したことに関しては、たとえ結果が満足できるものでなくても納得がいきやすく、行動の過程でも自分事として真剣に取り組むため、そこから得られる学びも大きくなるはずです。

常識にとらわれず人生を創造する

 本コラムの読者の皆様にはお気づきのことと思いますが、この社会には罠が多く張り巡らされており、従順なだけでは子供たちがもっと苦しむ構造になっています。ただ、そんな社会であっても、子供たち自身が幸福な人生を歩むことは可能です。そのためには全ての道徳観、ルール、常識、タブーなどをまずは疑ってかかることを足掛かりにされることをお勧めします。意識が変わればスコトーマ(心理的盲点)が外れ、集まる情報も変わり、今までの延長線上にはない別の人生を創造することが可能になるからです。

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