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ミライノマナビコラム  ― 授業が変わる 学校が変わる

2023.2.17

第20回 新しい学びのための授業研究のあり方とは

益川 弘如

益川 弘如

博士(認知科学)
青山学院大学 教育人間科学部 教育学科 教授
認知科学者。学習科学、教育工学、協調学習が専門。
著書に、「学びのデザイン:学習科学 (教育工学選書II)」(編著)、「21世紀型スキル: 学びと評価の新たなかたち」(翻訳)「アクティブラーニングの技法・授業デザイン」(共著)など。

 

授業研究では行動パタンではなく思考過程がポイント

 今回は、日々授業実践に奮闘されている先生方の「授業研究」に焦点を当ててみたいと思います。「授業研究」とは、先生方が互いの授業実践を見合い、相互に成長を図っていく取り組みです。

 さて、現在私たちは、コロナ禍でのワクチン開発をはじめ、新たな生活様式、経済活動、学校運営など、既存の人類の「知」では解決できない事態に対し、新たな「知」を生み出し、適用・検証・改善のサイクルによって、ポストコロナ社会を模索しています。

 現在の学習指導要領でも「知識を生み出す力」のために、各教科の内容(人類の「知」)を「知っていること」がゴールではなく、その先の知識創造につながる「できるようになること」が教育目標となり、そのための「深い学び」が求められています。

 それに伴い、大学入学共通テストでは、教科書で扱った内容を覚えてさえいれば解答できる出題から、教科書で直接的には扱われていない新規の情報や文脈に対して、学んだ内容から必要な知識を取り出し組み合わせて解答を生み出す出題への転換が試みられています。これは、「知識・技能」が生きて働くかたちで習得されているか、「思考力・判断力・表現力等」が未知の状況にも対応できるものとして育成されているかが重視されている表れとも言えるのです。

 このことを踏まえると「授業研究」でも、単に授業をなんとなく見合うのではなく、深い学びを見取っていくためには、「何」を見取るか、見取る側の視点が重要になります特に、子供たちが表出する直接的に把握可能な「行動パタン」ではなく、その表出に至った背景となる頭の中の「思考過程」を仮説に基づき推定していくことがポイントです。「思考過程」を見取っていくことがこれまでの授業を、「目標創出型・学習者中心型」へと変容させていくことにつながるのです。

 

同じ一生懸命で積極的でも学びの深さが異なる

 当たり前の話かもしれませんが、子供たちの学習評価や効果的な授業が実践されたかどうかの判断が難しいのは、その場面における、子供たちの頭の中の学習状態を直接見ることができないからです。そのため、なんらかの方法で観察の窓を開けて、観察者はその窓から見える子供たちの姿から深い学びが起きていかどうかを解釈していくしかありません。

 私の研究領域である学習科学では、評価とは「認知」「観察」「解釈」の三要素からなり、「評価の三角形」と呼んでいます。「認知」とは、評価対象となる子供の学習目標の姿(頭の中)です。「観察」とは学習目標の姿を見取るための手法となります。そして観察結果を基に、評価者が想定した学習目標となっていたかどうかを「解釈」し、次の授業づくりや指導に生かしていくことが大事であると言われています。

 例えば社会科の「歴史」の授業で考えてみましょう。特定の事象の年号や人物を覚えることが学習目標であれば、子供たちに対する授業参観の視点は、ワークシートに年号や人物が穴埋めできたかどうかや、先生の問いかけに対して年号や人物を発表できるかどうかになります。しかしこの目標では、いくら「一生懸命資料集を見ている」「班での対話で積極的に話し合っている」「積極的に手を挙げている」という主体的な行動があったとしても、頭の中の思考過程を推定してみると、「情報の切り貼り」「一対一対応の暗記」といった既知の「知」を覚えただけの可能性が高く、深い学びは起きているとは言えません。それなのに授業参観をした後、参観した先生が「生徒たちの積極的な姿勢が良かったです。普段の先生の指導の成果です」と褒めてしまうのは問題があります。その授業を肯定してしまうと、「浅い学び」の授業実践を助長してしまうことになりかねません。

 歴史の授業において、事象の意味や意義について年代や相互の関連、現在とのつながりに着目して多面的・多角的に考察することが目標なのであれば、授業参観の視点は単元または本時の学習目標に向かって、他の時代(もしくは私たちが生きている現代社会)と見比べ違いを見出したり、立場の違いについて対話したり、先生の問いかけに対して対話によって深めた考えを発表できるかどうかになるでしょう。

 この学習活動でも「資料集を見ている」「班での対話で積極的に話し合っている」「積極的に手を挙げている」という行動レベルは同じかもしれません。しかし、事象を複数の年代から時代を通して比較するような活動が見られたり、対話内容に「制度の○○がポイントだね。武士たちは豊かになったけれど、農民たちにとっては辛い時代に変わったんだね、これはちょっとひどいね。現代の△△と似てるよね。この次の時代どうなっていくと思う?」など、子供たちなりに新たな「知」を生み出していると「深い学びが起きてそうだな」と推定することができるでしょう。

 授業参観後の振り返りでは、子供たちの見た目の行動だけでなく、どのようなことを考えたのか、推定した解釈を共有、議論していくことが次の良い授業づくりにつながっていきます。

 

保護者の視点から子供たちの学びを観察してみると

 ここまで、先生方の授業参観の視点について、学校で取り組まれている「研究授業」の視点から、より良い授業参観を見取っていくポイントについて紹介してきましたが、この視点は、保護者が子供たちの学びをいかに見取って支えていくかのポイントにもつながります。

 子供たちは、学校の授業、そして塾などの習い事など、様々な環境で日々学んでいます。その学んでいる様子をどのように見取っているでしょうか。一生懸命取り組んでいる姿を見て、満足して終わっているのでしたら、もう一歩踏み込んで、単に頑張って「覚えているだけ」なのか、それともどうしてそうなのか「わかろうとしている」のか、どっちなのだろうか、という視点で子供の様子を観察してみてください。

 前者の方であれば、直近のテストなどでは効果を発揮するかもしれませんが、長期的な目で見てみると、学習の積み上げにはつながっていないかもしれません。また、学んだことが、テスト以外の場面で役立つことはないかもしれません。子供たちの学びが豊かになっていくためには、周りの大人たちの長期的な視点での支えも大切な要素なのです

 

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