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ミライノマナビコラム  ― 授業が変わる 学校が変わる

2024.5.17

第25回 「NEXT GIGA」で考えるICT活用の原点

益川 弘如

益川 弘如

博士(認知科学)
青山学院大学 教育人間科学部 教育学科 教授
認知科学者。学習科学、教育工学、協調学習が専門。
著書に、「学びのデザイン:学習科学 (教育工学選書II)」(編著)、「21世紀型スキル: 学びと評価の新たなかたち」(翻訳)「アクティブラーニングの技法・授業デザイン」(共著)など。

 

NEXT GIGAに向けた動き

 コロナ禍において「子供たちの学びを止めない」というGIGAスクール構想の前倒しにより、一人一台の情報端末が整備されて3年以上経ちました。今では、端末を活用した授業実践が広がっているところです。小学校、中学校、高等学校における端末を活用した授業実践を多数参観しましたが、そこではICT活用、調べ学習の充実、複線型授業の展開、他者参照や相互参照活動の増加、生成AIの活用など、授業の幅も広がっていす。

 しかしながら、学習科学・認知科学の専門領域の視点からそれら取り組みを分析すると、「目標創出型・学習者中心型」実践が広がっているのではなく、「目標到達型・学習者中心型」、もしくは目標到達すら目指されていない「目標未到達型・学習者中心型」の実践が広がっているようにも見えます。そのような中、GIGAスクール端末の更新時期となりました。「NEXT GIGA」とも呼ばれている第2世代への一人一台端末の更新と合わせて「目標創出型・学習者中心型」の実践が広がっていくための授業改善の視点について、複数回に分けて紹介していきます。

四半世紀以上前の指摘

 今から四半世紀以上前の1997年、一冊の新書が発売されました。認知科学者の佐伯胖博士(東京大学名誉教授)の著書『新・コンピュータと教育』※1です。改めて読んでみると、現在のGIGAスクール構想実現による学校教育の課題を指摘しているような内容がギュッと詰まっています。当時、はまだ大学の学部4年生でしたが、本書の内容をとても興味深く読んだ記憶があり、自身の後の大学院の研究にもつながり、今も自分の中の考えの根底にあると改めて思いました。例えば、序章での主張の一端を紹介しましょう。

 コンピュータ教育を考える際に、「コンピュータの導入で教育はどう変わるか」という議論が多いが、これはそもそもおかしい。これでは、教育というものがテクノロジーにあわせていろいろ変化するということが前提になっている。しかし筆者が提唱したいことは、そもそもテクノロジーに教育を適合させることを考えるのではなく、教育にテクノロジーを合わせるべきだということである。つまり、「コンピュータやインターネットを教育にどう活用し、どう教えるか」という観点からコンピュータ教育を考えるのではなく、まず「現代社会において、教育はどうあるべきか」という観点から出発し、そこにコンピュータがどのような形で貢献できるかを考えるのである。佐伯胖『新・コンピュータと教育』p.24より)

 その上で、人間教育の本来の在り方を中心に据えて、現状の教育を批判し見直すとともに、テクノロジーの在り方もたえず変わっていくものとして「あるべき教育」の実現を支援すべく開発し活用していくための道を探るべきだと述べています。現状のGIGAスクール構想はどうでしょうか? 予算を費やした端末の「コスト」を回収するために、一人一台端末をいかに活用するかに終始していないでしょうか? そのために、「個別最適な学び」や「協働的な学び」ということばが歪んで解釈されていないでしょうか。

「調べ学習」の広がりに対する懸念

 新書の中では、当時の日本における学習者中心の学び方としての「調べ学習」について批判した上で、教育が変わらないまま、一人一台の情報端末が導入された場合の懸念点について、以下のように述べています。

「調べ学習」というのが、わが国の「お勉強」の伝統であり、小中学校どころか大学生の卒論、さらには、学者の「学術論文」にまで行き渡っている。こういう「お勉強」文化の土壌には、インターネットというのは格好の道具になる。インターネット利用の学習となると、「ともかくデータを集めたら、こういう結果になりました」という「調べ学習」のオンパレードになる。「だから、何なのだ」「なぜそうなのだ」「ほんとうに(つねに、どこでも)そうだと言えるのか」「もしそうだとしたら、今のこのわたしはどうでなければならないのか」というディスカッションがあまりにも弱い。(同書p.149より)

 一人一台の情報端末を活用することで、子供たちは主体的に情報を探索できるようになり、教師が教えるのではなく、子供たちが見つける授業が広がっています。しかし、現状の多くは上記で述べているように、目的とする情報を見つけ出してプリントに書き写して終わってしまう場合や、スライド作成アプリや協働学習アプリにコピーしてきれいに整形するだけに留まっている場合が多いのではないでしょうか。これでは、いわゆる「教科の見方・考え方を働かせる」ような「思考」は働いていません。情報をコピーするだけの「作業」に留まっています。子供たちは、「調べる」活動を楽しんでいるだけで、見つけた表面的な知識を書き写して覚えて満足して終わる、深い学びが起きない、「目標未到達型・学習者中心型」の授業と言えるでしょう。

 重要なのは、調べてまとめた内容に対して「責任」を持つことができ、「自身の言葉で語る」ことができる理解です。そのためには、「調べること」が大事なのではなく、調べるための「問い・疑問」を各自が持って活動を進める必要があります。そして、その自身の持つ「問い・疑問」に答えることができるレベルで深めてまとめる活動になるよう授業を工夫していくことにより、そこでの子供たちの学習プロセスや成果物は創出型の産物となり、まさに「目標創出型・学習者中心型」の学びを実現することになるのではないでしょうか。

※1 佐伯胖(1997)『新・コンピュータと教育』岩波新書

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