最終回になりました。これまで「認知科学」や「学習科学」の研究成果をもとに、学習指導要領のゴールはどこなのか、授業や学校はどう変わっていけば良さそうか、社会の変化や情報技術の進展も踏まえ、「目標創出型・学習者中心型」を掲げて、具体例を挙げつつ紹介してきました。しかし、実際には、多くの転換が「目標到達型・教授中心型」から「目標到達型・学習者中心型」への転換で留まっています。さらに最近危惧しているのは、子供たちに丸投げした、活動あって学びなし状態の「目標未到達型・学習者中心型」の授業が広がっていることです。「教授中心型」から「学習者中心型」への転換が失敗してしまわないよう、質の高い深い学びを目指す方向性について整理して終えたいと思います。
大人目線で子供たちに質の高い深い学びを押し付けると?
学び手である子供たちから見た質の高い深い学びの姿と、大人たちが期待する質の高い深い学びの姿に大きなギャップがあるかもしれません。多くの大人たちは、特定の授業時間や学期の間に扱う内容を「覚えて忘れないこと」を期待してしまいます。その結果「練習問題をたくさん解いて間違えないようにする」ことが大事にされます。学校ではテストで点数が取れるよう丁寧に確認しながら授業を進めたり、家庭では学習アプリを契約して満点が取れるまで取り組ませます。「質の高い=繰り返し粘り強く取り組ませる」、「深い学び=用意された範囲を確実に習得していくこと」という捉え方です。この考えで「教授中心型」から「学習者中心型」へ転換を進めると次の2タイプの授業になります。
1つめのタイプは、教授中心型から抜けきれない「目標到達型・学習者中心型」の授業です。本時で扱う内容を「忘れずに覚えておく」ことが目標になっているので、子供たち同士の対話活動は、一人で考えた事柄が間違っていないかどうかの確認が中心となります。例えば「先生が説明したこと、わかりましたか。では○○はどうなるでしょう。タイマー2分セットするので、近くの人と考えを交換してください」と声掛けし、子供たちはワイワイ間違っていないか確認しあったり教えてもらったりします。間違って覚えてしまわないよう、授業の冒頭に教師が基礎基本を丁寧に説明したり、授業の最後に得意な子どもに発表させて「このまとめを覚えようね」と、各自が考えてきたことを上書きさせて終わるような展開が続きます。
2つめのタイプは、子どもの主体性が大事だからと教授を放棄し、子供たちの学び方にゆだねるだけの「目標未到達型・学習者中心型」の授業です。本時で扱う内容を「子供自身で学習する」ことが目標になっているので、授業中の学び方は子供たちにゆだねて自由に選択させることが中心となります。GIGAスクール端末によって、教科書からWebサイト、生成AIまで情報収集環境が広がりました。一人で黙々と取り組む子や得意な子のまわりに集まってワイワイ学ぶ子も出てきて、見た目は満足感が高そうです。そして授業の終わりには、何をどのように学んだかを振り返らせることで、個別最適に自己調整学習能力も育てていくことができると考える展開です。
素朴教育観に基づいた2つの幻想
これら2タイプの授業は、「基礎基本が大事という幻想」と、「子供の主体性が学びを育てるという幻想」に囚われてしまっています。
前者は、基礎基本を丁寧に習得させなければならないという幻想です。基礎基本とは、学問的に重要な要素を抜き出したものですが、本来は膨大な状況や文脈、場面とセットで存在するものです。ですので、基礎基本だけを抜き出しても何の役に立つのかわかりにくく、頑張らないと覚えることができない上に、基礎基本さえ覚えておけば様々な問題解決に万能に使えるわけではありません。本来は、どういうことなんだろうという「問い」を持ち、考え、他の人との考えとも比べ、様々な状況や文脈、場面と組み合わせながら、「こういうことなんだ」と自分のことばで創り上げて獲得する複雑な学習の方が、将来の活用範囲が広くなります。
後者は、子供に学びをゆだねることがその子にとって個別最適な学びだという幻想です。しかし、その子どもの学習目標が単に事実を覚えること、基礎基本をしっかり押さえることという学習観だとどうでしょうか。一人で黙々と取り組み情報を書き写したり、得意な人から重要な事柄を教わって「ありがとう」と書き写してわかったつもりで終わることも多々起きます。教科・単元の、深い概念理解の姿は、教える側が一番良くわかっているはずです。その深さを追求させるためには、教師による意図的な学習環境の作り込みが大事なはずです。そうすることで、どうしてそうなのかの理由や根拠、関連性を追求していくような深い学習活動に変わっていくのです。
子供目線で質の高い深い学びを考えると?
子供目線で質の高い深い学びの学習展開を考えるとどうなるでしょうか。学習目標は言われたことを「学んだつもりになる」のではなく、「もっと先を学びたくなる」状態です。そのため、活動の姿は、解決したい「問い・疑問」を持ち、解決に必要な情報を自身に取り入れながら、「こういうことなのかな?」という疑問を友達同士で出し合い対話しながら、各自なりに答えを創り出していくかたちでしょう。活動を通して「自分なりのことば」で説明した内容こそが、単なる事実ではなく事実を支える概念となって、活用可能性の高い自分にとって納得したものになります。
今後、求められる教師の役割は、授業の冒頭で持たせたい「問い・疑問」を検討し渡すこと、事実の確認で終わらず理由や根拠を考えるために必要な材料・環境を準備すること、その材料・環境を使いながら、友達同士で悩み議論する時間をしっかり確保すること、最後に、子供たちがそれら活動を通して深い概念理解を構成したかどうか見取って、次の授業づくりに生かしていくことでしょう。子供たちの考え深める活動を引き出すためには、子供たちの学習過程の視点に沿った教材研究が欠かせません。このような授業づくりが「目標到達型・学習者中心型」につながるのです。
教育観・学習観を見直し続ける
子供たちに身に付けさせたい学ぶ力は、「今日学んだ事柄を忘れず溜め込む力」ではなく、「今日学んだ事柄を明日の学びにつなげる力」です。前者のために、主体的・対話的で深い学びやGIGAスクール端末を活用しても学力の本質は伸びません。後者のために私たちの教育観・学習観を見直し、新たな教育環境を生み出し続けることが、授業が変わり、学校が変わることにつながります。それによって、私たち大人を超えた賢さを子供たちが身に付け、持続可能な社会の未来の担い手として羽ばたいていくことにつながるでしょう。