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ミライノマナビコラム  ― 未来を生きるアドラーの教え

2020.2.7

第8回 共同体感覚

岸見 一郎

岸見 一郎

日本アドラー心理学会顧問
1956年京都に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)にて日本にアドラー心理学を広く紹介。近著に『子どもをのばすアドラーの言葉―子育ての勇気』(幻冬舎)、『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(ダイヤモンド社)など。

 

戦場で発想された共同体感覚

 第二次世界大戦時、戦場で敵と対面した兵士は、自分が先に撃たなければ殺されるという状況の中でも、実際に銃の引き金を引いた人は多くはありませんでした。その瞬間、事実上の良心的兵役拒否者になったのです(グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』)。

 もしも自分が撃てば自分が殺した相手の家族が悲しむだろう。そう思った兵士が銃の引き金を引けなかったであろうことはよくわかります。

 その後の戦争では、敵と対面した時、反射的に引き金を引けるように導入された反射型ゲームが劇的な効果を上げました。

 しかし、地上戦で敵に向けて銃を発砲した兵士だけでなく、飛行機から爆弾を投下したり、ミサイルを発射した兵士も、自分が放った爆弾やミサイルが当たった瞬間、死んでいく人の顔が思い浮かび、そのため戦後も長く苦しむことになりました。

 アドラーは第一次世界大戦に軍医として参戦し、戦場で心を病んだ兵士の治療をしていました。共同体感覚という思想に到達したのは、この戦争の最中でした。休暇でウィーンに戻った時、突如として、「汝の敵を愛せ」というキリスト教の隣人愛に匹敵するこの考えを友人の前で披露しました。その時、これは科学ではないと考えた多くの友人を失うことになりました。

 アドラーが、人と人とが殺しあうという現実を目の当たりにしたにもかかわらず、人と人は仲間であると考えるに至ったのは、引き金を引くことをためらう兵士の存在に気づいたからに違いありません。

 兵士たちが心を病んだのは、攻撃本能によって、見境もなく他者を殺りくしたからではなく、本来仲間である他者を殺戮することを強いられたからなのです。

 本来、人は他者を殺傷することなどできないからこそ、発砲をためらったので、ためらいなく他者を殺せるようになるためには、後の戦争では反射的に銃の引き金を引ける訓練までしなければなりませんでしたし、それでもなお自分が殺した顔が思い浮かんで苦しんだのです。人間の本性上、このようことが本来あってはならないからです。

 

共同体感覚を引き出す

 アドラーは、共同体感覚は「意識的に発達させなければならない先天的な可能性」であるといっています(『人はなぜ神経症になるのか』)。

 ここでアドラーが、共同体感覚は先天的ではあるけれども可能性であり、意識的に発達させなければならないといっていることには注意が必要です。共同体感覚は、息を吸うことや直立歩行のような自然に発達する資質とは異なるものです。自然に身につくのではなく、意識的に発達させなければなりません。

「教育する」はドイツ語ではerziehenといいますが、これには「引き出す」という意味もあります。英語のeducateもラテン語educoが語源で、これも同じく引き出すという意味です。

 一体、何を引き出すのか。「共同体感覚」です。人と人とは結びついており、その意味で「仲間」である他者に貢献しようと成長とともに自然に思えるようになれば教育はたやすいでしょう。

 もしも共同体感覚が元々子どもに備わっていなければ引き出すこともできません。しかし、何もしなければ子どもは他者に関心を持たず貢献しようとは思わないでしょう。教育の目標は、この共同体感覚を引き出すことです。

 意識的に引き出さなければならないものであれ、他者に対して共同体感覚を認めるのとそうでないのとでは、大きな違いがあるといわなければなりません。

 

子どもを叱るのをやめよう

 敵を反射的に殺せる訓練をしたのとは違って、共同体感覚を引き出すためには、他者を仲間だと思える訓練をしなければなりませんが、子どもを叱ることは他者を仲間だと思える訓練にはなりません。なぜなら、叱られた子どもは自分を叱った親や教師を自分の仲間とは思わなくなるからです。

 叱ることは、国家間の関係では戦争に相当します。戦争が外交に頼らないで問題を解決しようとすることであるように、叱ることは話し合いをしないで問題を解決しようとすることです。

 親が子どもを叱れば子どもは戦場の兵士のように深く傷つきます。それを知りながら、でも叱るのは子どものためだと思って叱っているのなら直ちに叱るのはやめましょう。子どもを叱る親も教師も心を病んでしまうことになります。一番問題なのは、子どもの思いをまったく顧慮しないで叱りつけている人なのですが。

 

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