子どもへの接し方を変える
共同体感覚を引き出すためには、他者を「仲間」だと思える訓練しなければならないとアドラーは考えています。他者が仲間だと思えなければ、他者に貢献しようとは思わないからです。
ところが、親から憎まれた子ども、叱られて育った子ども、さらには甘やかされて育った子どもは、他者を「仲間」ではなく「敵」と見なすようになるということを見てきました。
そのような子どもでも、大人が子どもを叱るのをやめ、子どもの貢献に注目するようになれば、子どもはやがて大人を仲間と見なすようになるでしょう。
世界は危険なところではない
子どもがまわりの人を敵と見なすようになるのは、大人の子どもへの接し方のためだけではありません。
他者は敵であり、自分は「敵国の中に住んでいて、いつも危険にさらされている」(『個人心理学講義』)と感じている子どもがいます。アドラーが次のような事例を引いています。
「ある四歳の子どもが、劇場で上映されたおとぎ話を見た。後年になっても、この世には毒の入った林檎を売る女性がいると信じていた。多くの子どもたちは、主題を正しく理解できない。あるいは、あまりに大雑把な概括をしてしまう。子どもが正しく理解するようになったと確信するまでは事柄を説明するのは親の課題である」(『子どもの教育』)。
この歳では子どもに読み聞かせをしている親は多いでしょう。言葉がかなり発達し、もういろいろなことがわかっていると親は思うかもしれませんが、親は子どもが本の主題を正しく理解できているかを吟味して、必要があれば子どもに説明しなければなりません。
アドラーがあげているこの事例の中で問題なのは、「毒の入った林檎を売る女性がいる」と子どもが信じていることです。このようなことを信じている子どもは、この世界は危険なところであり、「いつも危険にさらされている」と感じています。
このような映画を見なくても、親が子どもに街で大人から話しかけられても返事をしてはいけないと教えたら、子どもは知らない大人は皆怖い人だと思うようになるかもしれません。
子どもが遊ぶおもちゃの武器や戦争ゲームはいけない、また英雄や戦いを賛美する本もいけないともアドラーはいっています(前掲書)。
「普通の新聞についていえば、準備されていない子どもたちに、人生について歪んだ見方を与えることになる。子どもはわれわれの人生のすべてが殺人や犯罪や事故で満ちていると信じるようになる。事件の報道は、特に幼い子どもたちにとって気を滅入らせるものである。われわれは大人たちの発言から、子どもの時にどれほど火事が怖かったか、どのようにしてこの恐怖が彼[女]らの心を悩ましたかを見て取ることができる」(前掲書)
ここでアドラーがいう「普通の新聞」というのは、子ども向けではなく大人のために書かれた新聞のことです。新聞などで子どもたちを巻き込む事件の報道を見るにつけ、そのようなニュースを知った子どもたちが他者を敵と見なし、この世界が危険なところだと思うようにならないか危惧します。
この世界は危険なところであると思えば、それを理由に外に行かなくなるかもしれませんし、積極的に人と関わろうとしなくなるかもしれないからです。
子どもの健全な成長を助ける
依然終息の気配がない新型コロナウイルス感染のニュースを見た子どもたちは、この世界は危険なところだと思うようになるかもしれません。たとえそうは思っていないとしても、学校が休みになり友だちとの関わりが少なくなるという経験を子どもたちはしました。
たしかに、この世界は「薔薇色の世界」(前掲書)ではありませんし、事故や事件、災害また病気の流行もあります。子どもたちの安全を確保するために必要な予防はしなければなりませんが、過剰な不安を煽ってはいけないと思います。
子どもたちに知ってほしいのは、このようなことがあっても子どもたちが無事に毎日生きていけるように尽力している人が、この世界にはたくさんいるということです。
病気の子どもは自分にしか関心を持てないことがあります。苦しいので他者に気を配る余裕がないからです。しかし、他方、自分が病気であるために他者の気持ちがわかるやさしい子どもに育つこともあります。
今の時代は、新型コロナウイルスのために皆が病気であるのと同じです。子どもたちが健全に成長できるよう助けるのは大人の責任です。