MIRAI NO MANABI ミライノマナビ

ミライノマナビコラム  ― 未来を生きるアドラーの教え

2021.2.5

第12回 三つの勇気

岸見 一郎

岸見 一郎

日本アドラー心理学会顧問
1956年京都に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)にて日本にアドラー心理学を広く紹介。近著に『子どもをのばすアドラーの言葉―子育ての勇気』(幻冬舎)、『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(ダイヤモンド社)など。

 

難局の克服に必要な勇気

アドラーは政治では社会を変えることはできないと考え、教育によって社会を構成する人を変えることが必要だと考えました。

論理的に考えられるはずの人が筋の通らない発言をし、しかもそのことを少しも恥じてはいないように見えるのは、教育の失敗ではないかと思うことがよくあります。社会を変える手段として教育は時間がかかりますが、アドラーが教育を重視したことには意味があります。

人は生きている限り、多くの困難に直面します。その困難から逃げ出さずに、解決に向けて対処するためには勇気がいります。しかし、この勇気は「有用な勇気」でなければなりません。それは蛮勇ではなく、また自分が勇気があることを他者に誇示するようなものでもありません。

目下、世界が直面している難局に立ち向かい克服するためには、有用な勇気が必要です。

アドラーは、この有用な勇気として、失敗をする勇気、不完全である勇気、誤っていることを認める勇気の三つをあげています。

 

失敗をする勇気

生命に関わるようなことであれば、一度の失敗も許されないというのは本当ですが、一度も失敗したことがない人はいないでしょう。人は成功した時にはあまり学ぶことはできません。失敗した時にこそ多くのことを学び成長してきたのです。

失敗をすることを恐れて決断しようとしない人がいます。責任を取ることを恐れるからです。失敗はしないに越したことはありませんが、失敗をした時にはその責任を取らなければなりません。

具体的には、失敗によって失われたものがあれば可能な限り原状回復に努めること、同じ失敗をしないために今度どうするかを検討すること、人を傷つけるということがあれば謝罪することです。

失敗したこと、誤ったこと自体を認めたくないので、その事実が隠蔽されることがあります。そんなことをしてみても隠しおおせるわけではありませ。隠蔽発覚後の企業の幹部らが謝罪会見を開き、頭を下げている姿ほど見苦しいことはありません。アドラーは次のようにいっています。

「失敗と困難は努力と技術を増す刺激でしかない。失敗しても自分を憐れんだりしないし、特別の配慮をされることも求めないだろう。自分ではなく、自分の課題に専念するだろう。人が自分のことしか考えられなくなる唯一の理由は失敗を恐れることである」Adler Speaks

「自分ではなく、自分の課題に専念する」というのは、失敗した時にどう思われるかを気にかけずに、失地を挽回すべく、困難に立ち向かうということです。

 

不完全である勇気

自分が失敗しうることを認めることが「不完全である勇気」を持つということです。失敗してはいけないと思って、少しでも失敗することが予想されると課題に取り組むことすらしないのは問題です。

アドラーは、課題の達成が困難な時に、そこから逃げ出そうとするライフスタイルのことを「すべてか無か」という言葉で説明しています(『子どもの教育』)。たとえ五十しか達成できなくても、ゼロよりもはるかに望ましいのです。

 

誤っていることを認める勇気

失敗したこと、誤ったことを認めたくない人がいます。そのことを人から指摘されても認めようとしません。自分が間違っていたことを学生から指摘されることを教師の沽券(こけん)に関わると嫌う教師がいますが、学生が力をつけることが重要なので、体面や面目を保つことに汲々とするのはおかしいです。

政治家が批判されるのも同じです。謝りを認めようとしないで、自分が下した誤った決断に固執することは多くの人に害をなすことになります。

 

子どもが三つの勇気を持てるために

子どもがこの三つの勇気を持てるために、大人はどんな援助ができるか考えなければなりません。

まず、子どもが失敗しても叱ってはいけません。失敗したためにたとえ人から非難されることがあっても、自分がどう思われるかを恐れず、困難に立ち向かう人に育ってほしいからです。叱られた子どもは、失敗を隠し、失敗を恐れて挑戦しようとしなくなります。

次に、責任を取ることを教えることです。先に引いたアドラーの言葉の中にある「特別の配慮」をするというのは、失敗したのにその責任を取ることを免除することです。責任を取らないでいいことを学んだ子どもは大人になっても謝罪もせず、それどころか、部下に責任を転嫁しようとするようになるかもしれません。

 

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