親や教師の意気込みに反して、反発したり、自ら判断する力を伸ばせなかったりする子どもがいます。アドラーは、それは子どもの問題ではなく、教える側の人間関係の築き方が間違っていると考えました。教育の目的である自立へと導く、子どもとの関係とはどのようなものでしょうか。アドラーの考えに沿って見ていきましょう。
対等でなければ援助できない
親であれ教師であれ教える立場にある人が、子どもや生徒との関係が対等であると感じていなければ、何を教えようとしても受け入れようとしないことがあります。
アドラーは次のようにいっています。
「支える人と支配する人に区分することを頭から追い出し、完全に対等であると感じることは、今もなお困難である。〔しかし〕このような考えを持つということが既に進歩である」(『性格の心理学』)
アドラーは早くから対等な関係を築くことが重要であることを指摘していました。「完全に対等であると感じることは、今もなお困難である」というこのアドラーの言葉が今もなお妥当するのが現実です。それでも、「このような考えを持つということが既に進歩である」というのも当時から変わらない真実です。
「男性と女性の共生は、男女のどちらも服従することがない仲間関係、労働共同体でなければならない。そのことが、たとえさしあたってはまだ理想であっても、少なくともいつも、人がどれほど文化的に進歩しているか、ないしは、それからどれだけ遠いか、そして誤りがどこで始まったかを知る基準になるだろう」(前掲書)
今日、男女は対等であるということは誰もが当然のことだと認めているでしょう。しかし、それでも内心なお男性が女性よりも上であると考えている人は多いように見えます。さすがに、男は上で女は下だと公言して憚ることはほとんどなくなりましたが、言動から男女は対等でないと考えていることがわかることはあります。
男女関係ですら「まだ理想」であれば、大人と子どもは対等であると見ている人はさらに少ないでしょう。たしかに、子どもの知識は足らず経験も十分ではありません。だからこそ、教育することが必要なのですが、人間としては大人と子どもとが対等であるとは考えないのです。
アドラーは、大人と子どもは対等であり、大人は子どもを「友人」と見なければならないと考えています。
「われわれは子どもたちを友人として、対等な人として扱わなければならない」(『子どもの教育』)
「一緒に仲良く暮らしたいのであれば、互いを対等の人格として扱わなければならない」(『人はなぜ神経症になるのか』)
大人と子どもが対等であるということは、男女関係にましてはるかに「理想」かもしれません。実際、親や教師に話すと驚かれることはよくあります。しかし、理想であっても、大人と子どもが対等であることを知っていなければ関係を変えることはできません。子どもが大人と対等と見なされていないという現実を追認するのではなく、対等な関係を少しでも実現するべく努力する必要があります。
子どもの自立を援助する
なぜそのような努力が必要なのか。支配しようとする大人の問題もさることながら、自分を支配しようとする大人に服従する子どもは自分では何も判断できず、自立しないからです。
アドラーは次のようにいっています。
「親や教師は、子どもよりも大きな力や広い経験があるからといって、子どもたちに命令できるとは決して見なしてはいけない。子どもたちが従うことを強いられるので従うとすれば、彼〔女〕らの勇気は既に破綻しているのである」(Adler Speaks)
力や経験があることを自分が優れていることの証左だと考える大人がいます。そう考えるのではなく、「学ぶのに子どもたちよりも長い時間をかけたものと見なすべきである」(前掲書)とアドラーはいいます。大人は子どもよりも少し早く生まれただけで、その分子どもよりも多くの知識を持っているだけのことです。その知識を子どもに伝えるのが大人の当然の役割であり、子どもよりも優れているわけでもなく、知識があるからといって命令できると考えてはいけないのです。
「この真の人間の対等性の意識がより多く示されればされるほど、そして親と教師が誤ることがない権威者として振る舞うことが少なければ少ないほど、子どもたちは育つことを任され、勇気を持った自立した大人になるだろう」(前掲書)
子どもを叱ったり脅したりすることで、子どもが恐れをなして適切な行動をしたとしても、強いられてそうしただけであって、もしも叱る大人がいなければたちまち適切な行動をするのをやめるでしょう。叱られて育つ子どもは何をすることが適切であるかを学ぶことはできないのです。
また、いつも大人の顔色を窺う子どもになります。たとえ失敗することがあっても、自分の創意工夫で行動できる子どもになってほしいのです。自分の判断では何もできない子どもは自立しているとはいえません。
自立は教育の目標ですが、今の自分の子どもへの接し方がはたして自立の援助になっているかを考えなければなりません。