人生には多くの困難が伴います。良い学校を卒業したからといってもそれは避けることができません。それでは、子どもが困難に立ち向かえるようになるために、保護者には何ができるでしょうか? アドラーの言葉からその答えを探っていきましょう。
世界は薔薇色ではない
アドラーは、
「親は、世界は薔薇色のものであるといったり、世界を悲観的な言葉で描写したりすることを避けるべきである」(『子どもの教育』)。
といっています。
生きることが苦しいのは大人だけでなく、子どもも同じです。しかし、親がこの世界は危険なところで生きることは苦しいとあまりに悲観的な言葉で語ると、子どもは人生の困難に直面する勇気をくじかれることになります。
他方、この世界は薔薇色だといい、子どもに成功者としての人生を歩ませようとする親がいます。そのために、人生の早い段階で難関の学校に行かせようとします。入学試験に合格することは困難だが、この難関を突破しさえすれば、その後の人生を楽に生きていけると子どもにいって聞かせます。
そのようにいう親でも、首尾よく合格しても、その後の人生が楽にはならないことを本当は知っているのではないでしょうか。生きることは困難である。だからこそ、子どもには苦労させたくないと思うのです。それとも、親自身が成功した人生を送ってきたので、本当にこの世界は薔薇色だと思っているのかもしれません。
ともあれ、親がどう思おうと、入学試験はその後の人生で待ち受ける困難と比べると何ということもありません。
子どもが早い時期に、親のいっていることが本当でないことを知ればいいと私は考えているのですが、首尾よく入学試験に合格し、その後も大きな挫折を経験しなければ、本当にこの世界は薔薇色であり、その上、人生は自分の思う通りになると考えるかもしれません。
困難を避ける子ども
アドラーはこのようにもいっています。
「困難に直面することを教えられなかった子どもたちは、あらゆる困難を避けようとするだろう」(『子どもの教育』)
実際には困難があるのに、それに直面するのはもちろん、困難が存在することすら教えられず、親に守られて育った子どもが一歩外に出れば、そこはアドラーの言葉を使うならば「敵国」です。親が子どもを過保護に、いわば、人為的に暖かい環境の中で育てたので、外の世界の風が冷たく感じられるということです。
受験という十分困難な経験をしたので、暖かい環境に育ったわけではないという人はいるでしょうが、勉強さえしていれば、他のあらゆることを免除されるようであれば、それは過保護なのです。
子どもの頃から、何かを成し遂げることは困難であり、いつも自分が望む通りの結果を得られるとは限らないことを知っていれば、風は冷たくても耐えられるようになります。しかし、幸か不幸か、人生が思うようにならないものであることを知らずにきた子どもは、その後の人生で遭う少しの困難でも大きな躓きの石になってしまいます。
失敗したり挫折したりするような経験はしないに越したことはありませんが、困難に直面し失敗した時にどう対処すればいいかを知っておかなければなりません。
アドラーは、
「失敗と困難は努力と技術を増す刺激でしかない」(Adler Speaks)
といっています。
直面する課題は多かれ少なかれ困難なものであり、課題に挑戦しても失敗することは当然あります。しかし、困難を克服する努力を重ねることで、最初はできなかったこともできるようになります。
「失敗しても自分を憐れんだりしないし、特別の配慮をされることも求めないだろう。自分ではなく、自分の課題に専念するだろう」(前傾書)
「自分ではなく、自分の課題に専念する」というのは、失敗した時にどう思われるかを気にかけずに、失地を挽回すべく、困難に立ち向かうということです。
失敗すれば落ち込むことがあるかもしれませんが、次はどうすれば失敗しないかだけを考えて再挑戦すればいいのです。そう思えるようになるためには、親は「つらそうね」というような言葉をかけないようにしなければなりません。
不用意にそのような言葉をかけたら、自分は苦境を自分では切り抜ける力がないと思うようになり、「特別の配慮」を求めるようになるからです。
失敗を恐れるな
なぜ、課題ではなく、自分に専念するようになるのか。アドラーは次のようにいいます。
「人が自分のことしか考えられなくなる唯一の理由は失敗を恐れることである」(前傾書)
大学で古代ギリシア語を教えていたことがあります。ギリシア語を訳すようにいっても答えない学生がいました。なぜ答えなかったかたずねたら、こんな答えが返ってきました。
「この答えを間違えて、先生にできない学生だと思われたくなかったのです」
私は「もちろん、そんなふうには思わない、あなたが答えなければどこがわかっていないかわからない、教え方に問題があってもわからないので答えてほしい」と伝えました。
この学生は、ギリシア語を読めるようになることよりも、教師からどう評価されるかに関心がありました。できない学生という評価を避けるためにはどうすればいいか。それなら、答えなければよいと思っていたのです。しかし、次の時間から間違いを恐れなくなり、それに伴ってギリシア語の力が上達していきました。
人生の課題は避けるわけにはいきませんが、悲観的にも楽天的にもならず、勇気を持って課題に取り組まなければなりません。たとえ、失敗しても取り返しのつかないことは起こりません。大人は教育を通じて、人生の課題に取り組む勇気を与える責任があります。