子どもたちの中には「自分にはできない」「絶対に無理だ」といって取り組む前から諦めてしまう子どもが少なくありません。しかし、アドラーによると、このような子ども自身が設定する「限界」は、実際には存在しないものであり、保護者や教師によって作り出され、思い込まされたものなのです。子どもが思い込みの劣等感から抜け出し、努力する勇気を持つために、まわりの大人には何ができるのでしょうか。アドラーの言葉から考えてみましょう。
できないという思い込み
本コラム第3回「自分に価値があることを教える」でも述べたように、アドラーが「誰でも何でも成し遂げることができる」といったことは、遺伝的な素質などを無視しているのではないかと批判されました。この批判は的外れで、アドラーは、能力がないからではなく、課題に取り組まないでおこうという決心をしている子どもが多いことを指摘したかったのです。最初から勉強ができないと思う子どもはいません。成績の振るわない子どもが親や教師から無能という烙印を押され、そのため生涯にわたって、自分は何もできないと思い込む人がいることを問題視したのです。
アドラーは遺伝的な素質に違いがあることを否定しているのではなく、それをどう使うかが重要であると考えています。素質や能力で学力が決まるのではないからこそ、教育が重要なのです。アドラーは次のようにいっています。
「もしも『君は数学の才能を持っていない』ということができれば教師の人生はもっと楽なものになるかもしれない。しかし、そうすることは子どもの勇気をくじくだけである」(『人生の意味の心理学』)
勇気をくじかれ、自分の能力には限界があると信じてしまっている子どもがいます。そのような子どもの実際にはない「限界」を取り除くことは、容易なことではありませんが、子どもの力を伸ばすためには、まず教師が能力には限界があるという考えを放棄しなければなりません。
「能力は勇気と訓練によって偉大な能力となるほどに補償されることさえある」(『人はなぜ神経症になるのか』)
教師は子どもの勇気をくじくことなく、訓練しなければなりません。どうすれば、勇気を与えることができるでしょうか。
劣等感=実際に劣っていることではない
まず、無能力であるという自覚を適切な方向へ導くことです。
「無能力であるという自覚に適切に対処すれば、高度な業績を達成するよう人を刺激する。最初は、自分には能力がないという強い劣等感を持っていた人が、人生で目覚ましい成功を収めることがあっても驚くことはない」(前掲書)
「無能力であるという自覚に適切に対処する」というのは、「能力がない」のではなく、ただ「知らない」だけであることを教えることです。
自分には能力がないと思うというのが「劣等感」ですが、実際に「劣っていること(劣等性)」ではありません。知らないことは劣っていることではありません。知らなければ学べばいいのであって、知らないからといって、劣っていると感じる必要はありません。
努力すること
次に、努力する必要があると教えることです。実際には能力があるのに、最初から課題に取り組まないでおこうと決心している子どもがいます。一生懸命勉強しなければ成績がよくなくても、もっと頑張っていたらいい成績を取れたのにといえるからです。
そのような子どもには、勉強が足りなければ低い評価がされますが、人格が評価されるわけではないと教えなければなりません。
課題に取り組まないでおこうと決心している子どもを勇気づけることは容易ではありませんが、アドラーは次のように子どもに語りかけています。
「最初は泳ぐのが大変だったことを覚えているだろうか。今のように泳げるようになるまでには時間がかかったと思う。何でも最初は大変だ。でも、しばらくするとうまくできるようになる。泳げるようになったのなら、本を読んだり、算数もできるようになる。でも、集中し、忍耐し、何でもいつもお母さんがしてくれると期待してはいけない。他の人が君より上手だからといって心配してはいけない」(『子どものライフスタイル』)
勇気をくじかれている子どもは、人と比べて自分が劣っていることが明らかになるのを恐れます。そして、競争して勝てないと思えば、挑戦することすらしなくなります。
しかし、他の人が上手であるかどうかは関係がありません。他の人がどうであれ、上達したいのであれば、努力も時間も必要です。勉強も同じです。
ここで算数が言及されていますが、算数が不得意な子どもは勇気がくじかれているとアドラーは考えています。
「どんな学科でも〔他の人が援助することで〕楽にできるようになるということがある。しかし、算数にはそういうことはなく、自力で取り組み考えなければならない。甘やかされた子どもたちは、大抵算数に十分準備されていないのである」(『教育困難な子どもたち』)
水泳も算数も、他の誰かが代わることはできません。それにもかかわらず、甘やかされて育った子どもは誰かに依存しようとします。算数でなくてもどんな教科も自分が努力しなければ身につきません。
依存的な子どもが課題に取り組めるようになるには、勉強に限らず生活の中で、自分がしなければならないことをまわりの大人が取り上げないようにしなければなりません。たとえ最初は失敗し思うような成績を取れなくても、自力で取り組み達成感を持てる援助をすれば、勉強やスポーツでも最初から諦めることはなくなるでしょう。