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ミライノマナビコラム  ― 未来を生きるアドラーの教え

2023.11.3

第23回 自立して勉強する

岸見 一郎

岸見 一郎

日本アドラー心理学会顧問
1956年京都に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。
『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)にて日本にアドラー心理学を広く紹介。近著に『子どもをのばすアドラーの言葉―子育ての勇気』(幻冬舎)、『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII』(ダイヤモンド社)など。

前途有望で期待もされてきた子どもが、ある時から勉強や仕事で失敗し始めることがあります。それは長じるにつれて課題が難しくなるからではありません。アドラーは子どもの心理を分析して、周囲からの過剰な期待によるものだと説明しました。そして「ほめることにも弊害がある」という直感に反する結論に至ります。どういうことか見ていきましょう。

負ける不安から逃れる勉強

 ずっといい成績を取り続けてきた子どもでも、試験で大きな失敗をしたり、自分は優秀だと思っていたのに、より優秀なライバルが現れたりすると、自信が揺らいでしまうことがあります。親の期待に応えられないのではないかと不安になることもあります。そのような子どもたちにどんなふうに力になれるか考えておかなければなりません。

 アドラーは、次のようにいっています。

「思春期には、確立された傾向における明らかな逆転が見られる。多くのことを期待された子どもたちが、勉強や仕事で失敗し始めるのであり、他方、以前はあまり才能がないと思えた子どもたちが、追いつき、思いもよらない能力を表し始める。このことは以前の出来事とは矛盾しない。おそらく、非常に前途有望だった子どもが、担ってきた期待を裏切ることになるのではないかと心配になるのである」(『人生の意味の心理学』)

 勉強で常にいい成績を取ることは容易なことではありませんが、子どもの頃からいい成績を取れる子どもは確かにいます。しかし、そのような子どもが皆自信満々で「失敗」することなど考えてもいなかったかといえばそうではないでしょう。いつ何時「逆転」が起きるかもしれないと戦々恐々としているというのが本当のところです。

 この逆転は、きょうだい間でも起こります。先頭を走る第一子の兄や姉は、後ろを走る弟や妹にとっていわばペースメーカーです。第一子は何をするのも初めてなので、一般的に要領が悪いことが多く、勤勉さや努力によっていい成績を修めます一方で、弟や妹は、兄や姉のいいところは真似し、失敗したところは真似しないので、第一子よりも要領よくできます風はすべて兄や姉が受け止め、後ろを走る弟や妹は抵抗を受けず楽に走ります。そして、兄や姉が力を落としたところを見計らって一気に追い抜きます。

 優秀な子どもはこのようなことが起こりうることも知っています。だから、自信満々に見えても、競争に負けるかもしれないという不安から逃れるために頑張っているのです。

過剰な期待が失敗を生む

 アドラーは「多くのことを期待された子どもたちが、勉強や仕事で失敗し始める」ともいっています。これは課題が難しくなるからではありません。「担ってきた期待を裏切ることになるのではないか」という不安にいわば潰されてしまうのです。きょうだい関係についていえば、弟や妹は兄や姉ほどに親から期待されなければ、第一子の感じるようなプレッシャーを感じないでしょう。

 決して失敗しないような子どもはいませんが、「勉強ができる子どもであれ」という親やまわりの大人の期待を裏切ってはいけないと思うことは、子どもにとって強いプレッシャーになります。期待を満たさないと見放されることになると思うからです。積極的な子どもであれば、親に公然と反抗するかもしれませんが、そうでない子どもは「自分を好まなくなった世界から退却し、孤立した生活を送る傾向を示すことが見られる」(前掲書)とアドラーは指摘します。

 このようなことにならないためにも、親やまわりの大人は期待してはいけないのです。勉強ができるはずの秀才がこのように他の人の期待を満たさなければならないと思い、しかし、期待を裏切るかもしれないと不安を抱いたために勉強しなくなるようなことが起こらないようにしなければなりません。

自立して勉強できるように

 勉強しなくなるのは本人の問題でもあります。他の人の期待を満たそうなどとは思わないで、一生懸命勉強すればいいだけであって、他の人の期待を満たすというようなことは考えなくてもいいのです。他の人の期待を満たせないと思って勉強をしなくなるとすれば、そのことを勉強しない理由にしているだけです。

 続けて、アドラーは次のようにいっています。

「支持されほめられている間は、前に進むことができた。しかし、自分で努力する時がやってくると、勇気は衰え、退却する」(前掲書)

 アドラーは時にほめることが望ましいと読めるような書き方をすることがあるのですが、ここではほめることの弊害についてはっきりと書いています。子どもたちは「支持されほめられている間は」前に進みますが、支持されほめられている間は前に進めた子どもが「自分で努力する時がやってくると、勇気は衰え、退却する」ということが起きるというのです。

 幼い頃は親が子どもに本を読み聞かせしたり、一緒に宿題をしたりするというようなことがあったかもしれませんが、いつか自分一人で勉強に取り組めるようにならなければなりません。「自分で努力する時がやってくる」というのは、頑張れと励まされたり、ほめられたりされなくなる時がやってくるという意味です。このようなことは初めからしないほうがいいのです。

 誰かに勉強について口を挟まなくても、何をどれくらいの時間勉強するかを決めて勉強できるようになることが自立なのですが、親が子どもに勉強させるためにほめていると、ほめられないと何もしない子どもになってしまうのです。

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