アドラーは、子どもたちが「共同体感覚」を持てるようにすることが、家庭や学校で重要なことだと考えていました。共同体感覚が欠落していると、子どもは敵に囲まれていると感じて、さまざまな問題につながります。逆に、この感覚をしっかりと持っていれば、勇気を持って、思い描く世界を作り出すことができます。どういうことか見ていきましょう。
他者を仲間と見る
アドラーが子どもがどんな人に育つことを願っているかは、次の言葉を読むとよくわかります。
「もしも子どもがすべての人にとって親しい友になり、[長じて]有益な仕事と幸福な結婚によって社会に貢献することができるのであれば、他者より劣っているとか、負けたとも感じないだろう」(『人生の意味の心理学』)
すべての人にとって親しい友になるといっても、誰とでも仲良くするという意味ではありません。他者を「仲間」(Mitmenschen、つながっている人)と見なすという意味です。
「もしも子どもが他の人は敵であると考えれば、もしも敵に囲まれていると感じて壁に背を向ければ、われわれは子どもが友だちを作り、他の人にとってのよき友になることを期待することはできない」(前掲書)
アドラーは、人と人は本来結びついていると考え、そのように感じることを「共同体感覚」といいました。それの原語であるMitmenschlichkeitは、人と人(Menschen)が、つながっている(mit)という意味です。
ところが、他者を仲間と見ない子どもがいます。「敵」というのは、仲間とは反対に、敵対している人(Gegenmenschen)という意味です。
他者を敵と見なす子どもがいるとすれば、大人が家庭と学校で子どもに他者を仲間であると教えなかったのです。子どもがこの世界で最初に出会う仲間は母親です。しかし、子どもを甘やかし、自分以外に仲間がいること、「家族の外の人ともよき親密な友情を持つべきである」(前掲書)ことを教えてこなかったのです。
「共同体は家族だけではなく、国家、人類、全人類にまで拡大する。さらには、この限界を超え、動物、植物、無生物にまで、ついには宇宙まで広がる」(『人間知の心理学』)
子どもの関心を家族を超えて、このような広範な共同体にまで広げるのは親の務めです。親が家族の外の他の人とよき親密な友情を持てば、子どもは信頼に値する人間が家族の中だけでなく、外にもいると感じるようになります。
教師も「子どもがクラスの一員であり、他の子どもたちにとっての友人である」(前掲書)ことを教えてきませんでした。競争を煽るような教育を受けた子どもが、他の子どもを仲間と見なすのは難しいでしょう。他者を競争者ではなく、仲間であると思える援助をするのは、教師の務めです。
対等な仲間と思うから貢献できる
アドラーは、さらに次のように述べています。
「家庭と学校の両方の目的は、子どもが社会的な人間、人類の対等の一員になることを教えることである」(前掲書)
子どもは人類の一員として、他者と対等です。他者を対等と思わない子どもは、他者を援助しようとはせず、他者を支配しようとするでしょう。
他者を対等な仲間と思えればこそ、他者を援助し、他者に貢献しようと思えるのです。なぜ、他者に貢献することが重要か。
「私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけである」(Adler Speaks)
「行動が共同体にとって有益である」というのは、行動によって貢献するということです。その貢献の仕方は人によって違いますが、子どもの頃から一生懸命勉強した人であれば、仕事をすることで他者に貢献できます。
そのようにして、対等な仲間から構成される共同体に貢献できると感じれば、劣等感を持つことなく、自分に価値があると思えます。
私が世界を作る
共同体に所属していると感じるだけでは十分ではありません。
「[共同体に貢献できると感じれば]『この世界は私の世界だ。待ったり、期待しないで、私が行動し作り出さないといけない』と感じるだろう」(『人生の意味の心理学』)
この世界には「悪、困難、偏見」(前掲書)があります。しかし、それがわれわれの世界なのですから、それらの問題を他者が解決するのを待たず、自分がまず行動し、世界を作り出さなければなりません。
「われわれは、この世界の中で働き、進歩していくのであり、誰もが自分の課題に適切な形で適切な仕方で臆することなく直面するならば、世界を改善するにあたって、自分の役割を果たすことができることを希望してもいい」(前掲書)
自分の課題に直面できるためには、勇気が必要です。
「自分に価値があると思える時にだけ勇気を持てる」(Adler Speaks)
何もしないで手をこまねいているのでなく、勇気を持って自分の役割を果たすことで他者に貢献すれば、共同体の中に自分の居場所を見出すことができます。自分の役割を果たすというのは、他者に貢献するために自分ができることをするということです。他の人と比べる必要はなく、競う必要もありません。
そのように思える時、「この友好的な世界でくつろいでいる」(前掲書)と感じるでしょう。他者と比べず、競争自体が目的でなくなれば、劣等感を持つことも、緊張する必要もないからです。