自分に価値があること
自立の次に子どもに教えなければならないのは、自分に価値があることであり、しかもその価値を自分で見出せるということです。
アドラーがこんなことをいっています。
「自分に価値があると思える時にだけ勇気を持てる」(Adler Speaks)
まず、勉強についていえば、この自分に価値があるというのは、能力があるという意味です。
そのように思えればこそ、勉強に取り組む勇気を持つことができます。なぜ勇気がいるのかといえば、結果が出るからです。いつもいい結果を出せるのであれば、勇気はいりませんが、そうでなければ結果を出すことを恐れます。
そのような子どもには、勉強を教える以前に、自分に能力があることを教えなければなりません。自分に能力があると思えなければ、勉強しようとしないでしょう。
アドラーは、
「誰でも何でも成し遂げることができる」
といっています(『個人心理学講義』)。
これに対しては、才能や遺伝を持ち出して、何でも成し遂げることなどできないという批判がされてきました。
しかし、アドラーの主眼は、自分はできないという思い込みが生涯にわたる固定観念になる可能性に警鐘を鳴らすことにあります。
誰もが最初からいい結果を出せるわけではありません。出せないのであれば、今はいい結果を出せるだけの力がないという現実を受け入れて勉強をすればいいだけです。
私がかつて教えていた学生が「もしもこの問題に答えて間違った時に先生にできない学生だと思われたくなかった」といったことがありました。私はその学生に「間違えたからといって、あなたができない学生だと見ることはない」といわなければなりませんでした。
次に、対人関係についていえば、自分に価値があるというのは、自分が好きである、あるいは、自分を受け入れることができるという意味です。
カウンセリングにきた人に「自分のことが好きですか」とたずねると、「あまり好きではない」という答えが返ってきます。「大嫌い」と答える人もいます。
なぜ自分に価値があると思わないかといえば、対人関係の中に入っていかないためです。人と関われば何らかの摩擦が生じ、傷つくことを避けることはできません。だからこそ、アドラーは「あらゆる悩みは対人関係の悩みである」といっているのです(『個人心理学講義』)。
しかし、他方、生きる喜びや幸福も対人関係の中でしか得ることはできません。幸福になるためには、対人関係に入っていく勇気を持ち、そのためには自分に価値があると思えなければなりません。
自分で自分の価値を見出せるということ
この時大事なことは、自分の価値を自分で見出せなければならないということです。
勉強についていえば、これは自分に能力があると思えるということですが、教師は生徒がそう思えるために勉強を教えなければなりません。
いい成績を収めた子どもをほめるのは逆効果です。ほめられないと勉強しなくなるからです。ほめられるために不正を犯してまでいい成績を取ろうとするかもしれません。
ほめられなくても、自分で達成感を持てなければなりません。子どもはいい成績を取ったというだけで満足できていますから、追加支援は必要ではありません。「嬉しそうだね」と声をかけることはできますが、必ずそうしなければならないわけではありません。
対人関係についていえば、自分が他の人にどう思われるかということとは関係なしに、自分で自分に価値があると思っていいということを子どもに教えなければなりません。
ところが、小さい時から親からほめられて育った子どもは、自分がすることを親から認めてもらわないと気がすまなくなります。
そのように、ほめられなければ自分の価値が認められない人は、人の評価に依存した生き方をすることになります。何をしなければならないかを自分で判断することはできず、親に認められることだけを考えて生きてきたからです。
人からの評価と自分の価値、本質は違います。他の人が自分を嫌な人だといったら、その評価が自分の価値を決めるように思ってしまいます。反対に、素敵な人だといわれたら、舞い上がり、自分の価値がその言葉で高くなると思ってしまいます。
しかし、いずれも他の人が自分に下した評価の言葉であって、その評価の言葉によって自分の価値が上がったり下がったりはしないのです。
叱られた時も、自分に価値があるとは思えなくなります。自分が今しがたしたことについて叱られるのであれば納得できたとしても、過去に遡っていつ何をしても失敗ばかりしているというようなことをいわれたら、自分に価値があると思えなくなるからです。
叱られて育った子どもは大人の顔色を窺い叱られないようにふるまいますが、自分で自分の行動や自分自身の価値を認めることはできなくなります。
勉強を教える時も、ほめたり叱ったりしてはいけないのです。