MIRAI NO MANABI ミライノマナビ

ミライノマナビコラム  ― 大局観で教育を考える

2019.12.13

第7回 自由な議論に欠かせないグランドルール

後藤 健夫

後藤 健夫

教育ジャーナリスト。
大学コンサルタントとして、有名大学などのAO入試の開発、 入試分析・設計、情報センター設立等に関与。早稲田大学法科大学院設立に参画。元・東京工科大学広報課長・入試課長。『セオリー・オブ・ナレッジ―世界が認めた「知の理論」』(ピアソンジャパン)を企画・構成・編集。

 

なぜか盛り上がらないワークショップ

探究学習の実践では押さえるべきポイントがいくつかある。以前、こんな話を聞いた。

「総合的な探究の時間」のカリキュラム開発の一環としてワークショップが開かれた。ファシリテーターを務めたのはある企業の代表だ。ワークショップの経験も豊富にあり、ファシリテーターとして申し分ない。しかし、ワークショップは想定通りに展開しなかった。

生徒に「自由に」「どんどん書き出して」「ブレスト(ブレインストーミング)して」「高校生らしい意見を」と促すが生徒の議論は一向に活性化しない。「自由に」と言われても発言できないし、「どんどん書き出して」と言われても手は動かない。「ブレストして」と言われてもなにがなんだかわからない。「高校生らしい」とはなんなんだろうか。きっと「高校生らしい」など意識せずに自由に伸びやかに考えることが高校生らしいことなのだろうが、そのように指示されるまで、生徒たちはそんなことを意識すらしていなかったはずだ。大人は勝手に「高校生らしさ」を求めるが、生徒にとっては言いたいことが言いにくくなる発言の制約でしかない

さて、どうしてこうなるのだろうか。

生徒がブレインストーミングなどの作法を知らないこともあるが、なによりも、このグループワークの場が生徒にとって「安心・安全の場」ではないことが大きく作用しているのではないだろうか。

 

平和のためにテロも議論する

この話を聞いた時、ニューヨーク国連国際学校で国際バカロレア教育に40年以上関わっている、津田和男さんの授業の話を思い出した。

ニューヨーク国連国際学校には、国連の組織であるがゆえに、国・地域から派遣された国連関係者の子どもたちが通っている。民族も宗教も違う生徒が集っているのだ。ここで国際バカロレアの授業が展開されている。

これまで書いたように国際バカロレアの授業は「探究学習」であり、PBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング:問題解決型学習)も展開される。ひとつのテーマについて課題を設定してグループでその解決を図る授業である。

特に津田さんの授業では「グローバル・イシュー」を扱うことも多い。日本の高校でグローバル・イシューを取り上げるとなると、国際紛争とは遠い「環境問題」を扱うことになるだろうが、津田さんの授業では「テロ」も扱う。多様な国や地域から集まる生徒たち。民族も宗教も異なる。テロに対する捉え方も様々だろう。

そんな環境で議論すれば、一歩間違えると国際問題になる。日本では危なっかしいにも程があると考えるだろうが、国際バカロレアは世界平和の構築を目指すため、テロの議論を避けるわけにはいかない。テロリストのことをいかに説明するか。移民問題を抜きにしては語れないし、テロリストが出現するバックグラウンドを知らなくては語れない。テロや民族問題、宗教問題などは授業では対立した考えが如実に表れて問題が起きやすい。しかし、生徒は、20年後、30年後にはあたり前となるだろう多様性の中でグローバル・イシューを語ることができなければならない。

 

自由な発言は場をつくることから

そうした敏感な問題を扱うことから、津田さんの授業にはグランドルールがある。

クラスの中が安心・安全な場であり、自由に発言できるように「人の意見を否定してはいけない」「議論を教室の外に持ち出さない」などのルールを作って浸透させている。日本の学校にありがちな、他人と違う意見を言った生徒が差別されるという環境は絶対に作ってはならない。

こうしたグランドルールを作ることで安心・安全の場を確保する。ブレインストーミングでは突飛な思いつきも大事である。それを否定しては解決の道を閉ざしてしまう。安心・安全の場だからこそ自由で伸びやかな発想が出てくる。思い切って自分の意見が言えるからこそ、グループでの議論は多面的になり深まっていくのだ。

日本でも「探究」やPBLを扱うようになる。そのときに生徒の安心・安全の場をつくるためのグランドルールを定めることが重要である。

 

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