TOK(Theory of Knowledge)とは国際バカロレア教育の要諦であり、「思考の方法」を身につけるものだ。日本のグローバル教育において、英語力を身につけるよりも優先度が高いと考える識者も多い。それはなぜだろうか? 『セオリー・オブ・ナレッジ 世界が認めた「知の理論」』の企画・構成・編集者である後藤健夫さんに解説してもらった。
海外で日本人が精彩を欠くのは英語力の問題ではない
私が企画・構成・編集した『セオリー・オブ・ナレッジ 世界が認めた「知の理論」』を発刊して、既に7年が経とうとしている。国際バカロレア(IB)で使う教科書の一部を翻訳しつつ、国際バカロレア教育の海外と国内の状況を書いたものだ。当時、グローバルな教育を求めて、日本ではIB校を200校にするといった政策目標を掲げられた。そうした中で、この本はIB教育の要諦となる「セオリー・オブ・ナレッジ」(Theory of Knowledge:TOK)という考えを世間に知ってもらおうと企画したものだ。TOKとは、いわゆる「思考の方法」であり、既存の知識すらも批判的に捉える批判的思考を育むものである。
こうした「思考の方法」を、フランスでは「ヘーゲルの弁証法」(実際にはドイツ観念論のフィヒテが用いた概念)を学ぶことで、修得する。フランスのバカロレア試験でもこの思考の方法を用いて「正反合」で記述することが求められる(「正」テーゼ、「反」アンチテーゼ、「合」ジンテーゼ)。ある主張とそれと対立する主張を述べてそこから第三の主張を導き出すような思考法だ。これをフランスでは「哲学」の授業で学び、大学入学試験の共通試験で問われるのだ。
『セオリー・オブ・ナレッジ』の本ができあがったときに、ダボス会議に出席する、ある総合商社の役員に手渡した。そうしたらダボス会議への往復の飛行機の中でこの本を読んでくれて、感想をメールで送ってくれた。そこにはこんなことが書かれていた。
「ダボス会議で、日本人が精彩を欠くのは英語力の問題だけではない。むしろ、この本に書かれているような『思考の方法』を身につけていないからだ。いま日本の教育に必要なものだ」
「思考の方法」を身につける学びへ
その後、あるイベントで、日本学術会議若手アカデミーの設立に関わった狩野光伸さん(医学博士 現・岡山大学薬学部長 日本学術会議会員)と出会った。狩野さんの話は面白く興味深かったので、彼の著書を探してみたところ『論理的な考え方 伝え方』(慶應義塾大学出版会)を見つけた。早速、読んでみたところ、これはまさに「思考の方法」を説くものだった。海外での経験から書かれたものだが、こうした「思考の方法」を学ぶことが海外、特にヨーロッパではなされていることがわかった。確かに、オックスフォード大学やケンブリッジ大学のチュートリアルや選抜試験で課される「インタビュー」に対応するには「思考の方法」を身につけているかどうか、論理的な思考や表現ができるかは重要なポイントである。
比較検討したり仮説検証したり、論理的に表現したり抽象概念を学んだり……そうしたことは日本の学習指導要領にも教科を通して組み込まれている。しかし、深く考えることが得意な生徒は、なんの問題もなく、日常の生活や社会の中で無意識のうちに「思考の方法」を実践できるが、「覚えること=学ぶこと」だと思っているような生徒には「思考の方法」を体系立てて教えつつ自ら考えることが大事なんだと教えないとなかなかそうはならない。こうしたことを「総合的な探究の時間」で教えられると良いのだが、授業時間が足りなく十分に教えきれないのが実状だろう。「思考の方法」をどう教えるか、日本の教育の大きな課題である。
因みに、前述の総合商社の役員は、退職後に、神田外語大学の学長に就任して「グローバル・リベラルアーツ学部」を創設した宮内孝久さんだ。「思考の方法」を学ぶ教育の重要性を認識して教育の現場で活躍している。商社での海外交渉の経験から、教育の現場で、国際感覚、教養の大切さに加えて「思考の方法」を学び実践できるような人材養成を図っている。自ら学生と向き合い「思考の方法」を伝授するアグレッシブで実践的なお方だ。
このような姿勢で生徒・学生を指導する教育者が増えていくことを願う。