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ミライノマナビコラム  ― 大局観で教育を考える

2023.3.10

第20回 志望理由書を人工知能が書く時代

後藤 健夫

後藤 健夫

教育ジャーナリスト。
大学コンサルタントとして、有名大学などのAO入試の開発、 入試分析・設計、情報センター設立等に関与。早稲田大学法科大学院設立に参画。元・東京工科大学広報課長・入試課長。『セオリー・オブ・ナレッジ―世界が認めた「知の理論」』(ピアソンジャパン)を企画・構成・編集。

 

近年、AIの進化が加速度を上げている。入試の志望理由書のような形式の定まった文章であれば、十分に使える性能になってきた。当然、入試制度に大きな影響が出てくるだろう。さらに考えなければいけないのは、学校や教育そのものの変化だ。この問題について、経済産業省「未来の教室」などに助言をしてきた後藤健夫さんの現状分析と今後の展望を教えてもらった。

 

飛躍的に進化するAI

 にわかに広がるChatGPT。人工知能(AI)の進化がここに来て飛躍的に進んでいる。

 ChatGPTは、米カリフォルニア州にあるAI研究所・OpenAIが2022年11月末にプロットを公開した「人工知能チャットボット」であり、幅広い問いに自然な文章で回答する能力を示すことから話題となり広がったものだ。

 これからの時代、たとえば就職活動において、「志望理由書」などをAIに書いてもらうようなことが普通に起こるだろう。大学入試も同じだ。先日、国立大学に総合型選抜で合格した高校生にこの話をしたら「志望理由書はフローチャートですからね」と返ってきた。確かに書くべき要素が明確になれば、あとはフローチャートに従って書き込んでいけば完成する。こうしたことはコンピュータが得意とするところだ。

 このムーブメントが半年前に起きていたら、総合型選抜や学校推薦型選抜の「志望理由書」に大きな影響を与えて、今年度入試にちょっとした混乱を生んだかもしれない。この問題について、先日登壇したトークライブ「今年度の年内入試から、これからの高大接続を考える」(『VIEW-next ONLINE』2023年3月3日,ベネッセ)の中で、ある大学教員と対話したのだが、面接試験に時間を割けばこの問題はクリアできるだろう。受験生の志望理由書を起点に「問い」を重ねていけば、書いたことの真偽は判定できるし、受験生の思考を評価できるのだ。

 

人間ではできなかったことを技術が実現していく

 一方、大学が選抜試験で英語の4技能(「読む」「書く」「聞く」「話す」)を審査する上でネックとなっていたのが「話す」である。まず、試験会場では他者との関係で実施が難しい。そのうえ、受験生の解答評価において、内容が正しいかどうかは判定できても、イントネーションやアクセント、さらにはその解答がどのように伝わるかなどについては、人間の評価では危うさを持つ。一律に判定するうえで、人間の評価には「揺らぎ」があるからだ。特に印象に左右されるものは危うさがある。

 これもAIの進化で状況が変わりそうだ。

 一例を挙げると、早稲田大学発のスタートアップ企業が開発した「対話指向英語スピーキング能力自動判定システム」がある。会話の内容だけでなく、表情も評価の対象にする。もちろん評価に「揺らぎ」はない。このシステムは、早速、23年4月から早稲田大学で活用されることが決まった。

 これまで難しかった「話す」の解答評価の問題を、技術が解決する日もすぐそこまで来ているのかもしれない。

 

コンピュータに何を任せるのか

 ここまで進化したAIに、生徒が「正解」を求めるようになることは十分に想定できる。それは生徒に限った話ではなく、教員の中にもそうした人が現れてもおかしくない。しかし、自分が出す「正解」には自分の価値観や判断が内包されている。その部分をAIに任せて良いものだろうか。

――コンピュータに何を任せるのか。

 これは、私が5年前に経済産業省「未来の教室」とEdTech研究会でゲストスピーカーとして述べたことでもある。

 人間がやれないこと、機械がやった方がうまくいくこと、そうしたことを機械に任せるのであり、価値観や判断は人間がすることである。そこを簡単に機械に任せて、手放して良いのだろうか。

 それに「デジタルから抜け落ちるリアル」があるはずだ。友だちと森の中を駆け巡ったときの汗の臭いや息づかいはなかなかデジタルには置き換えられないだろう。コロナ禍で、学校は急にデジタルへの対応を求められた。デジタル社会は複製しても劣化せずに一様であるが、現実の社会は複製を繰り返せば劣化するし、変化する。そうした中でこれから子どもたちは息苦しさを感じることなくデジタルと付き合っていかねばならない。

 こうしたことを考え、教えるのが学校教育の真髄である。

 アメリカの学校の中には、ChatGPTが準備した授業が有益かそうでないか、生徒がそれを判断する授業が登場した。ChatGPTなどAIが生成するロジックをどう批判的に吟味できるかを教えている。※1

 こうした観点は、知識そのものすら批判的に捉えて吟味する、国際バカロレアのTOK(知の理論)に通じる。

 アメリカの学校のように、AIを批判的に吟味できるようなことが、これからは日本の学校でも求められる。

 教育におけるAIの活用として、日本では「AIドリル」が流行している。それを受動的に解くだけではなく、その生成するロジックを批判的に捉えるような、AIリテラシーを培う授業が日本の学校にもあってもいいのではないだろうか。

※1 子供たちがアルゴリズムを“批判する力”を養う米国の「AIリテラシー教育」の現場を訪ねて(ニューヨーク·タイムズ/クーリエ·ジャポン) 

 

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