生成AIの進化が目覚ましく、知識を効率的に得るためには便利なツールとなった。しかし、効率的に学ぶことだけが学びの理想形だろうか。今後、人間に求められるようになるのは、深く考えたり、美しさに感動したりすることだ。そのように「豊かに」学ぶためにAIをどのように活用していけばいいのだろうか。
「賢く」学ぶには便利なツール
この数か月、生成AIの進化が目覚ましい。
ChatGPT 、Gemin、Copilot、Perplexity、Claude……。
生成AIはさまざまな団体で開発されており、それぞれに特長があるが、競うように開発が進み、いずれも大きく進化をしている。こうして記事を書いている間にもさらなる進化がなされ、新しい機能が公表されているかもしれない。そのぐらいの勢いで開発が進んでいる。生成AIの開発は日進月歩だ。
これらのAIのなかでも筆者は、Googleが開発するNotebookLMに注目している。なぜならば、PDFやWebサイトのURL、YouTubeなどを貼り付けると、それらの内容をまとめて要約してくれる。さらに「音声概要」といった機能があり、要約した内容をポッドキャスト風に男女2人の対話に変換してわかりやすく解説してくれる。
この解説の最後には「問い」が出されて考えることを促される。さらに「学習ガイド」があり、内容に関する2、3行で答えられるようなクイズやエッセーのテーマを用意してくれるので、理解を深めることができる。
NotebookLMにはスマートフォンのアプリもあるので「音声概要」を電車の中などで聴くこともできる。家を出る前に文章量の多い記事や文献、論文などを「音声概要」に仕込んでおけばまとめて移動中に確認ができるのでとても便利だ。
さらに、私は自分が書いた原稿を「音声概要」にして、こちらの意図がしっかりと伝わっているかを確認するために使っている。そのため、NotebookLMはとても重宝している。
こうして生成AIを使うことで、要約や翻訳が簡単にできあがるので、大量の知識を効率的に入手できるようになった。コストパフォーマンスもタイムパフォーマンスもいい。「賢く」学ぶことができそうだ。
しかしながら、こうした活用では、概要を知るに過ぎず、単なる「もの知り」以上の域に到達することは難しい。概要だけでは十分な理解はできないだろうし、学力には結びつかない。それに概要では小説にあるような美的な表現や評論にあるような的を射たフレーズは抜け落ちてしまう。
効率よく「賢く」学ぶことはできても、深く考えたり美的に味わったりするような「豊かに」学ぶことはできない。
生成AIは便利だ。しかし、道具に過ぎない。「賢く」学ぶための道具には十分だ。
これをいかに「豊かに」学ぶための道具にするか。いま、そこが問われている。
生成AIを超えて「豊かに」学ぶ
倉敷芸術科学大学 芸術学部で「生成AI」ゼミを担当する大森隆さんは、生成AIから生まれたビジュアル表現のヒント集として「生成AIビジュアルブック」を作成した。
具体的なプロンプトを記載しているが、単に生成AIのプロンプトを教えるわけではない。
生成AIは頭の中にあるイメージを言葉や形にすることを容易にしたが、人間に求められるものは、作りたい欲望や審美眼、AIが及ばない発想にあることを、具体的に生成AIを動作させながら教える。
生成AIの本質は「言葉を形にする」「形を言葉にする」ところにある。
だからこそ、頭の中にあるイメージを言葉にしたり形にしたりすることを往還しながら、創作が進む。
さらにこのブックでは、「生成AIで作ったものに意味はあるのか?」という、創作の本質に関わる根源的な「問い」が投げかけられている。
生成AIの素材を用いてデザインされたブック自体が、その問いに対する応答装置のような構造をもつ。ページを読み進めるうちに、学生自身が「これは作品として成立するのか?」「創作とは何か?」と考えるよう設計されている。
つまりこのビジュアルブックは、生成AIを活用するための技術的なマニュアルであると同時に、創作と向き合うための「思考装置」として機能しているのである。
生成AIで「賢く」学ぶことを超えて、「豊かに」学ぶのだ。
一方で、国際バカロレアの授業に象徴される「探究学習」では、常に「なぜ」を問われ、「なぜ」を求めて考える。だから「問い」が重要視される。
生成AIを使えば、「対話」しながら知りたいことや思考を深めることができる。生成AIが出した「解」にさらに「問い」を重ねていく。こうしたことで「問い」が連鎖し始める。問いの連鎖が広がっていくことで、学びは「豊かに」なる。
考える端緒になるのは「問い」だ。生成AIも、なにかを問わなければ起動しない。他ならぬあなたの「問い」が学びの起点であり、推進力となる。