MIRAI NO MANABI ミライノマナビ

ミライノカダイ

2019.5.31

ポストヒューマンがもたらすポストヒューマニズム的問題


多くの研究者・著名人が指摘するように、私たちは21世紀に人類史上の大転換点を迎えそうです。人類は生物学上の限界を超えて、異なる存在に進化するという予測も少なくありません。それはどのように起こり、子供たちはどのような未来に飛び込んで行くのか、一緒に考えてみましょう。

※トップ画像はPete LinforthによるPixabayからの画像

 

ヒトのあり方を変えるGNR革命

2045年に「シンギュラリティ(技術的特異点)」が到来すると予測した未来学者のレイ・カーツウェルは、コンピューターの加速度的な進展と並行して、G(遺伝子技術)N(ナノテクノロジー)R(ロボット技術)が革命的に進歩すると指摘しています。

現在遺伝子技術は、従来の遺伝子組み換えから次のステージへと進化を遂げつつあります。より精度が高く、圧倒的に時間も手間もかからない「ゲノム編集」という新たな技術が登場し、遺伝子の改編が容易になりました。

遺伝病の治療はもちろん、治療を超えて「速く走る」「背が高い」「記憶力が優れた」といった、身体的・認知的能力を改編した人間を作ることも、倫理的にはともかく、技術的には遠い未来の話ではなくなってきました。

また、ナノテクノロジーの分野では、現在、患部にだけ届いて、身体の他の部分には影響しないターゲット薬が実現間近です。この技術は応用範囲が広く、本誌「子供たちのシンギュラリティ」で描かれているような、脳の活動をサポートするナノマシンの他、分子レベルで物体を設計・合成する「分子アセンブラ」、仮想の存在を実体化する「フォグレット」などが構想されています。

ロボット技術では、すでに単純作業を行う双腕型ロボットが実際に稼働しています。この技術は今後、汎用AIやIoT、ビッグデータと組み合わされ、人間が行うことのほとんどを代替できる存在へと変貌を遂げるでしょう。

 

シンギュラリティの盲点

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは著書『ホモ・デウス』(河出書房新社/柴田裕之訳)で、これらの技術革新によって、人類は、飢餓・疫病・戦争を克服し、次なる目標として不老不死と至福を目指すと予測しました。ハラリは、不老で至福な存在となった人類は、もはやそれまでのホモ・サピエンスとは別種であり「神性を獲得した人」という意味の「ホモ・デウス」だとしています。

しかし、これらの技術革新の恩恵を受ける度合いには、大きな格差が存在する、ともハラリは指摘しています。その例として、アメリカの女優アンジェリーナ・ジョリーが遺伝子検査で乳がんのリスクを発見し、乳房切除手術を受けたことを挙げています。彼女が受けた遺伝子検査の費用は3000ドル以上。ハリウッド女優はもちろん、先進国の平均的収入があれば、払えない金額ではありません。その一方で、全世界に10億人いる一日1ドル以下の収入の人や、1ドルから2ドルの15億人にとって3000ドルはとてつもない大金です。

同書では、これからの技術進歩は、多数の人々から仕事を奪うだけではなく、あまりに急速なため、新しい職業に就くための再教育が間に合わず、雇用不可能な「無用者階級」が大量に生まれると予測します。

そのため、技術進歩の恩恵を受けることができるのは、AIの所有者である一部のエリートたちとなります。ハラリは、一部のエリートが強力なコンピューターパワーを独占し「無用者階級」を支配する未来を危惧しています。

 

それでも私たちは神を目指す

「無用者階級」は基本的な生活が保障される代わりに、AIの管理下に置かれます。人間の欲望や意思決定のメカニズムが科学的に解明されるにつれ、支配は心の中にまで及ぶ恐れもあります。まるでSF映画のディストピア(ユートピアの反対語「暗黒郷」)のようです。

それにも関わらず、テクノロジーは不老不死を目指すでしょう。一部の人たちはそのような技術に反対するかもしれません。しかし、社会全体で技術の進展を止めることは難しいと思われます。個人の健康や生活の質向上にとってプラスになる技術なので、技術自体の禁止は難しいからです。

科学技術は、しばしば社会に大きな影響をもたらします。社会制度はいつも後手に回り、技術は社会制度を顧みることなく先に進んでしまいます。

私たちが考えるべきなのは、同書が予測するように、一部の選ばれた人たちだけがホモ・デウスとなる超格差社会の是非でしょう。

それは、不老を「健康で文化的な最低限の生活」の一部とみなして、基本的人権に含めるのか、その場合、人口問題を考えて、年齢の上限(人生の定年)のようなものを設けるべきなのかどうか、あるいはその中間的な社会制度——例えば、200歳までの不老は基本的人権だが、それ以降は自己負担が発生する等——を考えるのか、という現在のヒューマニズムを超えた未知の問題です。

あるいは、ハラリの予測を裏切って「無用者階級」を生み出さないための経済制度の設計も急務です。現在、何を購入したかなどの個人情報が価値を持ちつつありますが、同様に何に注目したのか、どんな経験をしたのか、などの価値も増大しています。日々生きた足跡自体が価値を持つならば、完全に「無用」な人は存在しないことになります。これらの新たな価値を活かすシステムを社会に組み込み、全ての人が「有用」で神となれる社会も工夫次第では不可能ではないはずです。

子供たちが大人になる頃、ホモ・デウスの一員となるのか、そうでない人生を送るのかを選ばなければならない局面があるかもしれません。それまでに、あるべき社会の姿をしっかりと考えて、未来の社会をより良いものにしてほしいと思います。

 

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