2020年度からスタートする次期学習指導要領。日本の教育を大きく変えるターニングポイントと目されています。このコーナーでは、次期学習指導要領に詳しい識者の方から、そのポイントをお聞きします。今回は、探究型学習を正規の授業とすべく2022年度から高校で導入される「理数探究」。中教審の委員として新科目設立に関わった渋谷教育学園幕張中学校・高等学校の岩田久道先生に「理数探究」が必要とされる背景や、目指す学びの姿についてお話しいただきました。
成績優秀なのに意欲や自信がない日本の若者
「理数探究」を新設する背景には、日本の子供たちの理数離れがあります。この問題は何年も前から認識されていて、先行する施策としてSSH(スーパーサイエンスハイスクール)が全国の拠点校で実施されています。
技術立国である日本にとって、次代を担う若者が数学や理科への興味を失うことは、衰退への危機に他なりません。また、日本の生徒は、国際的な学力調査で概ね優秀な成績を修めているにも関わらず、学ぶ意欲や学びを生かして社会に貢献する自信が他の先進国に比べて低い、という憂慮すべき状況にあります。ペーパーテストだけで判定される大学入試制度と、それに適応せざるを得ない高校教育に問題があることは明らかでした。
SSHでは、生徒が自らテーマを選び、目標を持って学びを進める、という探究型の学びに取り組みます。生徒に理科・数学への興味を取り戻させ、優れた成果を残してきたと思います。しかしながら、SSHは一部の選ばれた学校・生徒たちを対象とした事業です。圧倒的多数である一般の生徒を対象としたものではありません。
言われるがままの勉強で本当に大丈夫?
若者の理数離れに対して、より大きな危機感を抱いているのは大学の先生方です。中教審の委員の中でも、大学の先生方が自ら、大学入試制度の問題点を挙げていました。今後確実に到来するAI時代に、先生に言われた通り受験勉強をして、学問的な好奇心をほとんど持たないまま大学に進学する生徒を育てていて、大丈夫なのか、という声です。
この問題意識は、高校現場でも共有されています。ところが、進学校になればなるほど、大学入試という現実的な課題の前に、この問題は棚上げにされてきました。理科で言えば、実験の時間を受験勉強の邪魔だと捉えるような学校も見受けられます。もっとも知的好奇心が育つ中高時代に、当の中高がその芽を潰してしまっていたのです。
「理数探究」(「理数探究基礎」も)は指導要領に科目として記載されます。つまり、高校の正規の授業として大学受験があってもなくても取り組むことになります。SSH指定校以外の高校の生徒も、日常生活の疑問をデータを集めて分析し、そこから言えることを導き出すなど、自分で学びを作るのです。確かに、現場の先生方の負担は増すかもしれません。しかし、今始めないと、世界的に進行する新しい教育の流れに日本だけ取り残されることになってしまいます。
現在、スマートフォンを少しさわれば、とりあえず満足できる答えがすぐに見つかります。今後ますます賢くなるAIに対して、人間が考える力を身につけなければ、将来スマホの指示通りにしか行動できない大人ばかりになってしまいます。
AI時代の人材育成
AIに関しては、構想したりプログラムしたりできる人材をいかに多く育てるか、を目指す必要があります。AIによって私たちの働き方や生活スタイルは大きく変わります。AIをデザインするということは、次の時代をどのように作っていくのかに、自分も参加するということです。
一方で、マスコミなどが熱心に取り上げてくれることもあり、比較的進んでいるICTの活用については、教育が逆の方向に進んでいないか心配しています。それは、電子黒板やパワーポイントを使った授業が増えていき、授業が「見せるだけ」になっていないか、ということです。それでは本当の学力に結びつきません。生徒たちの考える機会を奪っているからです。
省みるべきは、教育現場が大人の視点に立っていないだろうか、という点です。ICTツールが教師の利便性に役立つだけでは本末転倒です。家でTVドラマを見るような授業であってはならない。「あの時、失敗したけど、一生懸命作ったなあ」といった挑戦した経験が本当の学力につながるのです。そのためにも、結果ばかりではなく、学習のプロセスを評価することが重要です。
「理数探究」を導入する意義の一つはそこにあります。知識を教える授業というのは、法則(=答え)だけを教えることが多い。しかし、その法則はどこかから降って湧いたものではありません。先達が長い時間をかけて研究して得たものなのです。コツコツと研究データを取って自分の手で法則性を見い出す、そういう過程が重要な学びになります。
リアルな体験が感動を生む
教科書の中で描かれるどんなストーリー、会話も実験にかなうものはありません。匂い、振動、リアリティに触れると、生徒の中でそれらが全部感動に変わるのです。面白いという思いを持たせることが教育の第一歩、理科は特にそうだと感じます。今の時代、子供たちは多くの情報に囲まれています。教員が教える前から知識を持っている場合も少なくありません。ところが、実験などで実際に体験すると、一つの知識に到達するまでの大変さがわかります。リアルな世界が持つ面白さは、黒板を使っていかに説明しても伝えることができません。体験を通じて自分で学んでいくしかないのです。
現代は、よほど家庭が意識して子供の興味を維持しないと、雑草も生えない都市環境の中、自然への興味の維持は難しいでしょう。ARやVRは仮想的に海外旅行でも何でも体験させてくれます。しかし、それで満たされれば、若者は内弁慶になるばかりです。本校では、生徒がリアリティに触れることを重視しています。まさに「百聞は一見に如かず」の通り、どんなに本を読んでも一回の経験の方が強烈だからです。バーチャルではなくリアルに生徒の興味を持たせたい。リアルに対する感動がなければ、本当に面白いVRも作れないのではないでしょうか。
「理数探究」では、自分たちで相談して調べることから始まります。予備知識のない状態から始めても、必要に迫られて自分で調べた原理は身につくものです。ICTツールをうまく使えば、実際の準備が難しい「ウニの発生」のようなものでも、本物の映像に触れることができます。生徒は、そこから興味を持てば、自ら学びに向かうようになります。
私は化学部の顧問をしています。生徒の日常的な興味が、大きな世界大会にまでつながることがあります。これは教師冥利に尽きるというだけではなく、生徒にとって高校時代にしか得られない貴重な経験になります。
学校は夢を持つ場所
現在の教育システムでは、大学も含めて学問的な感動を得る前に就職してしまいます。せっかくの独創性や発想力のある十代・二十代前半が浪費されているのです。中教審で、ある委員が指摘したのですが、小学校での理科の自由研究で日本は世界トップクラスです。保護者も一緒になって一生懸命に取り組みます。ところが、中学になるとクラブ活動が忙しくなり、高校では世界最下位になってしまいます。一方で、世界の潮流は高校での自由研究に力を入れています。
これまでのノーベル賞受賞者は子供の頃の興味を維持できた人たちが多いように感じます。かつての日本の教育には興味を持ち続けられる余裕がありました。今の高校にはそのような余裕も教育課程もありません。杓子定規で生徒を判断するきらいがあります。まるで、学校が「人生とは楽しくないもの」と悟らせ、夢を諦めさせる場所になっているかのようです。この状況はとてもまずいと感じています。教師は、子供たちに夢を持たせ続けるアプローチをしないといけない。「理数探究」がその突破口になるべきだと考えています。
家庭でもプロセス重視で
学問には年齢制限がないはずです。子供の自由な好奇心をできる限り認めてあげてください。保護者が常識にとらわれて「まだ早い」などと止めてはいけません。子供は、興味があれば自らどんどん学び進めることができます。
また、親子での体験の場をたくさん用意してください。お店で美味しいものを買うのは簡単ですが、たまには親子で一緒に料理して、肉や野菜を切ったらどのような断面になっているのか、クッキーを焼くとどう膨らむのか、他にもお風呂の水を抜けばどう流れるか……そういった途中経過を見せることも一つの体験です。これがまさに「理数探究」の現場なのだと思います。出来上がりを見せるだけではなく、途中経過を見せることで、子供は興味を持つことができるのです。
それから、褒めることを増やしてください。「叱ること:褒めること=1:3」ぐらいの意識を持って欲しいと思います。すぐに手や口を出さずに、黙って見てあげることも大事です。社会に適応するために禁止や叱責も必要なことですが、何でも禁止していては興味の芽を潰してしまいます。結果として、スマートフォンぐらいしかできることがなくなり、隠れてスマホいじりばかりする子になってしまいます。スマートフォンも全てを否定するのではなく「家族みんなで楽しもう」と言える家庭が良いと思います。
興味は人間の生きる原動力であり、成長に必要なものです。誰もが小さい時には必ず持っています。その子の好きなことを認めてあげて、良さをずっと見続けてください。子供の好きなことに、いつか親はついていけなくなりますが、その時には「あなたはあなたの人生」で良いのです。どこかの時点で子離れは絶対に必要だからです。子育ての本質は、一人の大人として自由に生きられる人間に育てることではないでしょうか。