2020年の小学校から順に、新しい学習指導要領がスタートします。背景にあるのはグローバル化やAIの活用といった世界の急激な変化。このコーナーでは、これらの状況に対してトップ校がどのように考え、どんな教育を展開していくのかを聞いていきます。初回は灘中学校・灘高等学校の和田孫博校長。次期指導要領の方向性に賛同しつつも「物足りない」と評する和田先生に、足りない部分を教えていただきました。
欧米型そのままでは成功しない
これまで、我が国は日本型のやり方で発展し、成果を上げてきました。世界のやり方に合わせなくても、国内に需要が十分にあり、国内標準の製品を作っていればよかったのです。
ところが、国内では人口が減少に転じました。国内需要だけでは、この先衰退するばかりです。「これからは世界と付き合っていくぞ」と視線を転じると、国内標準が障壁になることや、世界と比べて劣っている部分も見えてきました。
この状況は教育でも同じです。例えば、世界標準では、中等教育は1クラス15人程度です。この違いから、欧米で成功した双方向的なアクティブラーニング(AL)を、そのまま日本に持ってきても上手くいくとは限りません。40人学級用に工夫したALが必要なのです。
本校には、ALの考え方に通じる授業の伝統があります。指導要領に形式的にとらわれることなく、先生方が工夫して実践してきた授業です。もっとも有名なのは、国語科の故・橋本武先生が行った『銀の匙』の授業です。中学3年間をかけて『銀の匙』(中勘助)を読みます。その過程で、作中に出てくる言葉や風物、その周辺の事柄なども調べながら、丁寧に一冊の作品を読み上げる授業です。
40人学級のために工夫したALとは、まさにこういう授業だと考えています。欧米の仕組みをそのまま取り入れるだけではなく、日本型ALを開発する必要があると見ています。
復習型授業の功罪
国際的な若者の意識調査では、日本の若者は成績は悪くないにもかかわらず、自己肯定感が低く、社会を変えられるという意識が低い、という結果が出ています。これは、長らく続けてきた、受け身型教育のデメリットがはっきりと出たものです。
かつて、学校の宿題は予習型でした。生徒が基礎知識を予習してきた上で、それを前提にした参加型の授業ができていたものです。しかし、いつの頃からか復習型になってしまっています。あらかじめ問題集があり、生徒はその解答を待ち受けています。そして解法を復習して、テストで再現します。この方法でテストの得点が上がるので、効率の良い勉強法と思ってしまっている節があります。
本来の勉強とは、すぐに答えが出るものではありません。課題に対して、自ら調べて、その上で意見を持ち寄って、アクティブに解を見出す活動に参加するものです。
まだ足りない日本の教育改革
新しい指導要領の全体的な方向性は正しいと思います。しかし、改革の踏み込み方が今ひとつで、物足りないと感じています。
一つは、学問体系についての認識が国内標準のままです。例えば、経済学は数学・統計が必須の学問であるにもかかわらず、入試に数学を課さない大学がたくさんあります。同じように、地理学も本来は科学系の学問ですし、心理学が文学部の中にあるのも日本独特のものです。
世界標準の学問体系に合わせて、大学入試での文・理の壁をなくす必要があると思っています。そこを基点に中高の科目分類もやり直すべきでしょう。しかし、今回の改訂ではあまり踏み込まれませんでした。
もう一つは、探究型の学習が打ち出されていますが、曖昧な部分が多いと感じます。もちろん、課題を見つけて研究活動をするという理念は良いと思います。しかし、どういう学習を探究と呼ぶのか、学んだことをどう位置づけるのか、誰が評価するのか、などが明確でなければ、現場は混乱します。
生徒から見れば、探究を頑張ったら、大学入試にどう関連するのか、が関心のあるところでしょう。今回は大学入試改革も同時に進んでいるので、探究の成果を大学がどのように扱うのか、注目しています。ただ、多くの大学が探究を入試の評価に取り入れるとなれば、興味がない生徒も否が応でも探究学習をやらなければならず、それは探究の趣旨に反します。当面は、興味があり、やってみたいという生徒だけがするという方針の方がうまくいくのではないでしょうか。
本校では、以前から「土曜講座」として、学問や起業、経済、政治、教養などの分野で専門家の講義を受けて、そこから自らの興味を持ったテーマを見つけてレポートにまとめる、という探究学習を行ってきました。生徒全員が年に1本はレポートを書いています。それを担任団がチェックして、優れたレポートは論文集にまとめて、学年全員に配っています。
大学入試改革の欠点をカバーする複数大学出願制
今回の大学入試改革がつまずいているのは「日本人の公平感」を無視したためだと思います。日本の受験生は「1点足りなかったから不合格」と言われても不公平とは思いませんが、「点数は足りていたが、面接で逆転された」と言われると疑問を感じるのではないでしょうか。
面接で測られる基準が明確ではなく、不合格になった場合に再挑戦しようにも、何が足りなかったかわかりません。評価基準の異なる大学を探すこともできません。
また、記述式で問題となったように、学生や業者が採点することにも拒否感があります。スピーキングの試験にしても、記述式にしても文部科学省が自前で行う必要がありました。
これは、私の以前からの主張ですが、学力選抜の入試をやめるのであれば、複数の大学を同時に受験できるようにすることが必要です。国立大学であっても、いくつかの大学に願書を出して、複数の合格をもらって、その中から進学先を選ぶような制度です。アメリカなどで一般的な制度で、受験生は自分のやりたいことをもとに大学とのマッチングを考えます。そのため、ハーバード大学でも合格者のうち入学するのは70%足らずだそうです。
デジタルネイティブ世代に期待
現代は、本人に積極性さえあれば、学内・学外を問わず、学びを深めていく機会がたくさんある時代です。そういう人が活躍できる場所は、これからどんどん増えていくでしょう。
子供たちのスマートフォン使用を大人は心配するでしょう。当然、弊害も多くあります。しかし、無条件に取り上げるのはもっと害が大きい。見守りながら自主性を尊重してあげてください。
大人たちはしきりに「AI・ロボットに仕事を奪われる」と不安を持っていますが、デジタルネイティブ世代は、生まれた頃からITを使いこなす環境で育っています。これからの若者には、この技術をうまく活用して、世の中を明るくしてほしい。是非とも、変わっていく日本・世界を背負って、夢を持って前向きに進んで行ってください。